見出し画像

偏光のサングラスとnoteのID

 このサングラス「これお前使う?」と彼がくれた偏光グラス。たぶん怪しげなサイトかアマゾンの最安値か...、そういった類のモノである事は確かなのだが、セルロイド臭い(50代以上でないと通じないと思うが)ので使い物にならない。強烈に臭いメガネフレームを勿体ながって捨てられずに、私に横流ししただけで、彼が亡くなった今でこそ「最後にもらったプレゼント」として今もここにあるけれど、通常なら捨てられているであろうもの。

しかしながら、このサングラスが私の手許に渡ってきた由縁が、私の心を蝕み続けている。書くことで自分を整理している私が、今のIDのままでは書けない(IDがツイッターその他と被り身バレするため)ので、乱れ始めた心は揺らがないと思っていた心をも侵食していく。

IDが他と被っているのはそれなりに気に入っているからで、それをこんなマイナスな事のために手放すのかと思うと悔しいし、悔しい気持ちをぶつける相手はすでに故人。堂々巡りとは決別せねばならない。ということで、IDを変える決断をするために今日の日記を書いたんだ私。←ここまで書かないとわからないのは、判断力が欠如しているんだろうか。

今日まででわかったことは、死別を経験した人の精神状態は当の本人でも理解できない状態になっているということ。

明日は就職の面接。天気は雪。笑顔で面接できることを願う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?