見出し画像

気怠

最近、どうもやる気がでない。
ここ1ヶ月少々。

ここ1ヶ月であったことといえば、大学に受かったことぐらい。

これが大事なことなのかもしれない。あと60年は見込まれる人生において。

でもなんだかわからん。
実感が湧かないというより、わからないのだ。
親は祝いだとお頭付きの舟盛りを買ってきたり、祝儀に数万円をくれたが、よくわからんと口座に入れたきりである。

僕が来年から通う学校は、かなり有名な学校ではある。今色々と世間を騒がせてはいるが(苦笑)
その大学の芸術学部の放送学科に通うこととなっている。

すでにいくつか引っかかっているのだ。
”芸術学部?”
“倍率高いけど、どこを評価された?”

自問自答したところで答えは出るまい。
まあ、後日の学園祭で大学の先生に挨拶した際、不安を吐露した僕に「実力で受かったんだから自信を持って」と励ましてくださった先生を信じよう。
僕のことを「繊細なおじいさん」と面接で評したこと、忘れません(笑)


いいタイミングなので少しここまでの学生時代を振り返ろうと思う。

僕が育ったのは典型的な田舎であった。
祖父母の家で囲碁に触れた幼少期。
小5にもなると、囲碁では近隣地域の小中学生に敵がいなくなっていた。(中学生になったとき、クラスメイトが「古書君に負けた○○だけど覚えてる?」と来たのはいい思い出だ。)
また当時は広報誌の制作手伝いもしていた。
当時通っていた公文式では数学の成績が良く、未来フォーラムという成績優良者の集いに呼ばれたりしていた。
聞こえは悪いが、正直にいえば、ここまでは挫折を味わったことがなかった。

人生のターニングポイントは中学時代だ。
野球を始めたのが失敗だった。
今、ニュースで連日報じられているA投手がしていたことと同様のいじめをうけるのだった。(実は最近にそのニュースを見た時は強いストレスで蕁麻疹が出るほどであった。)
しかもいじめは集団で行われていた。先生に相談しても取り合ってもらえず、密告がバレていじめはエスカレートしていく。野球でも結果は出なかった。
親にも相談したが、コロナ禍と重なった仕事のことで精一杯。取り合ってくれなかった。
人生なんかどうでもよくなって、首をくくった。しかし、意識が朦朧としてきた矢先に、紐が切れる。紐の強度を上げて、何度試しても結果は同じ。

なぜか気分が上向いたある日、僕は気づいた。
僕に失うものはないじゃないか、と。
だったら死ぬと電波にのせてもいいじゃないか。派手に死んでやろうと。

いざ話してみると、真剣に話を聞いてくれるスタッフさんがいた。涙がとめどなく溢れてきた。
話を聞いてほしかったんだな、初めて気付いた。

そこから自分のマインドが変わってきた。
僕に失うものはないのだ。
そこからはフットワークが軽くなった。
気付きを与えてくれたスタッフさんになりたい。

そうして活動を続けてきた今、簡単に死にたいとは漏らせなくなってきた。失うものも多くなってきた。あの頃は考えもできない状況だが、ここ最近のマインドは常に人生の一番を更新している。


今、気怠なのもきっとそれだけ気合いを入れて受験と向き合った結果だろう。
その証に、進路活動や大学からの課題には真剣に向き合う自分がいる。

ここまでのの過程には数多くの人との出会いや刺激があった。
大学ではもっと刺激的な出会いがあるかもしれない。期待を胸に締めくくろうと思う。

最後に、10月ぐらいまで書いていた作文は、お察しの通りに受験対策でした。
皆さんからもらったいいねは自信になりました。
ここまで、僕の駄文をお読みいただきありがとうございました。
今後も不定期更新するので、ぜひお読みいただけると嬉しいです。

*今回も素敵なイラストをお借りしました♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?