見出し画像

自由な国はどこへ

アメリカにいられるのも残り4週間弱になったな〜と思いながら、いつも通る道を歩いていたら、遠くの方から叫び声が聞こえてきた。

そこは裁判所の前だった。大勢の人がいて、

"WE STAND WITH OUR MUSLIM NEIGHBORS"

と書かれたプラカードをもっていた。

何も悪いことをしていないのに、強制的に帰国させられてしまうムスリムの人に寄り添う人たちの集会だった。

僕も道を挟んだ歩道から暫くの間、見守った。

22歳の立派な大人だと思っていたのに、何もできない自分にもどかしさを感じた。

アメリカに来て、一番苦しくなった瞬間だった。


シアトルに来て、イスラム教の友達がたくさんできた。
毎朝会えば、挨拶をして握手をする。女の子の友達は遠くからでも手を振って名前を呼んでくれる人もいる。将来の夢を語り合う友人もできた。
恥ずかしながら、ここに来るまで誤解が多すぎた。

今月は、メキシコ、カザフスタン、中国の友人が新たに増えた。彼ら彼女らは、僕と変わらない部分の方が多い。

少し仲良くなれば、今まで持っていた偏見が偏見だったと気づく。そのきっかけをもっと早く日本でも作ればよかったなと感じている。


ただ、資本主義の中心にあるこの国では、外国から来る他の国の人は、職を奪い、お金を吸い上げる人々に感じてしまうのだろう。それは日本も同じだと思う。

コンビニで働く外国の人をどういう目で見ていますか?
牛丼屋で働く外国の人をどういう目で見ていますか?
電車で他の言語を話す人をどういう目で見ていますか?


自国の人々を守るために、外国の人々を追い返すのは簡単なことだろう。

でも、そんなことをしたら歴史の巻き戻しになりかねない。

世界中のどこにいても、バックグラウンドの異なる人と出会えて、お金がまとわりつかない世の中になれば、もう少し世界はフラットになるような気がする。

そんな世界を僕は目指すべきだと考えてる。それが自然の仕組みだと思うから。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?