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SS 88 「家族と離れて」

単身赴任を始めて6ヶ月。この街にもだいぶ慣れてきた。最初は街ですれ違う人の言葉の違いに戸惑ったが、すっかり耳がなれると心地良いリズムに聞こえる。職場とマンションが近いのもありがたい。

引っ越したのは10月。秋の爽やかな季節だったけれど、すぐに寒い冬がきた。洗濯物が乾かなくて困ったが、このところ半日で取り込めるようになった。日の出も早いし、気温もだいぶ上がってきている。昼間に外を歩いていると少し汗ばむくらいで、過ごしやすい季節だ。

冬の間は布団を2枚重ねて寝ていたが、1枚をしまうことにした。通販で買った真空パックに入れる。妻が数年前から使っているのと同じものだ。付属のポンプを手で動かして、空気を抜く。布団がぺったんこになる。

隅の方に変な膨らみがある。なんだろうと触って見ると、硬いようでしなる。シリコンの様な材質だろうか。形はなんだか鍵の様だ。せっかくパッキングしたところだけれど、気になるので開けて見る。布団カバーのファスナーを開け、角の方へ手を入れる。こんな端っこでは今まで気付かなかったのも無理はない。つまんで、取り上げてみると、白っぽい樹脂製の鍵だった。

一体、なんの鍵なんだ。全く覚えがない。そこでスマホに着信がある。妻からだ。
「布団から鍵が出てきたけど、わかる?」
同じことが起こっているらしい。

二人で電話で話してみるが、どちらも知らない鍵だとわかっただけ。気味が悪い。布団のメーカーに問い合わせをしてみたが、製品の付属品ではないし、その大きさならば出荷時検品で漏れることはないので、購入後に入ったものだろうとの回答。益々、訳がわからない。

玄関のベルが鳴る。「宅急便です!」
受け取ってみると、娘からだった。一気に楽しい気分になって開けてみると、銀の樹脂製の箱が入っていた。鍵穴がある。ハッとして、例の鍵を差し込んでみると、きれいに嵌った。右に回して箱を開ける。
メモが入っている。

「鍵に気がついてくれてありがとう。単身赴任中だけど、もうすぐ銀婚式でしょ。たまには家に帰って、お母さんと食事でもしてね。娘より」

昨年夏から留学している娘が出発前に仕込んでいたらしい。妻に電話すると、同じものが届いていた。二人で笑う。
今度の連休に一度帰ろう。

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