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ひろゆき氏が座り込み批判!2つの残念な点(辺野古米軍基地)

ひろゆき氏が「辺野古座り込みの現場に行ったけど誰もいなかったから0日で良くない?」的なことをツイートして話題になっている。

私は沖縄県民で新たな基地建設は反対だけど、座り込みの是非や効果について外部から批判があったとして、改善できるならしたほうがいいと思う。

座り込み活動の批判自体は全く問題ないが、「0日にすれば?」という嘲笑と皮肉で表現するべきではなかった。

この件で個人的に大きな問題だと思っているのは2つ。

  1. 他人の価値観・思想の嘲笑

  2. 基地の他の問題まで単純化されて議論されている

まず、過激とも言われる活動の内容は一旦置いておいて、人生をかけた活動を「0日にすれば?」と茶化すのは人として礼儀に欠けるだろう。

アップされた動画を見ていると、メディアにわかりやすくさせるためなのか“座り込みの辞書的な意味”みたいな結構どうでもいい議論がされている。それによって座り込み側が努力しておらず意味ナシ、基地反対は左翼だけでは?みたいな印象を世間に与える結果になった。

基地反対は辺野古の問題だけでなく、普天間など他の基地、ひいては歴史やアメリカ軍人による犯罪も絡みついている。犯罪件数については復帰から6000件弱あり、強盗・強姦・殺人などの凶悪犯罪も500件以上にのぼる。もっと遡ると私の祖父世代は戦争で県民の4、5人に1人は死んでいる沖縄戦がある。

背後に多数の犠牲者がいる類の活動について「意味ねーじゃん」と強い影響力で発信してしまうのは、基地に関して少しでも思うところがある人からすれば最悪だろう。

例えロジカルに考えて基地問題に民意を反映させることは不可能だとしても、追悼の意味も含めてさまざまな意図で活動に携わった人がいる

ひろゆき氏の意見がある面で正論だとしても、遺族や関係者への嘲笑の意味まで孕んでしまう発信の仕方はいかがなものか

正論だったらなんでも発信していいわけはないし、発信方法も無駄に傷つく人がいないかまず考えるべきだ。

アメリカで銃規制活動家のやり方が合理的でなかった場合に、「この人の活動、全然意味ないっす」って拡散しているようなもの。遺族はブチ切れるに決まっている。

ひろゆき氏の意図はわからないが、結果的に活動している人たちの人生を否定した挙句、基地問題で騒いでいるのはやばい人たちばかりという単純化がなされてしまった。

事実を発信するにしても、やり方や礼儀にかけると感情論になって無意味な議論になってしまう良い例だ。

沖縄県以外の人がこの問題に触れてTwitterなどで情報を見たとき、基地反対派の人は怒ってばかりで論理的ではないと感じてしまうかもしれない。

問題が広く議論されるきっかけになるという意見もあるが、単純な二項対立を煽っているだけなのでむしろ議論はどんどん後退してしまうだろう。

そんな不条理さを感じたツイートでした。

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