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他者が喜ぶ偽善だったらアリじゃない?

一瞬の暗転、直後に響くアナウンス。
「それでは余興、はじまります」

静寂のあとに送られた観客からの拍手。
隠された舞台が開くのと同時に繰り出される歌声。

会場は響めきに包まれる。

僕が今見ているのは、某有名アーティストがファンの結婚式に駆けつけ、生歌を披露する趣旨のYouTube動画だ。

誰もが良く知る有名アーティストの登場に、会場は興奮に包まれる。新郎、新婦に贈られた魂の二曲は、僕の心を震わせた。鳥肌が止まらないんだ。二度、三度見ても、鳥肌が止まらない。心に刺さった。

悲しかな、こういった趣旨の動画につきまとうのが「偽善」というワードだ。

僕が見ているアーティストは、とりわけ「天狗だ」とか「承認欲求の塊だ」なんて批評されることが少なくなく、そういったネガティブなワードがより身近にあるように思う。

だからこそあえて問いたい。
仮に偽善だとして、それはダメなことなんだろうか。

実は良いことなんじゃないかと僕は思う。

晴れの舞台に呼んでいただいて、そこで自分の出来うる最高のパフォーマンスで祝福をする。新郎、新婦ともに、その顔は終始嬉しそうで、互いに抱き合ったり、涙を浮かべたりしている。

嬉しそうな人がいるのなら、仮に「偽善」を伴った行動だったとしても僕は良いことなんじゃないかと思う。

そんなことができるのは人として素晴らしいことだと思う。偽善ためにやったことが、結果的に別の誰かを笑顔に、そして幸せにしていることも事実だ。

だから、他者がそれを通じて幸せを感じてくれる行為であれば、多少の偽善が紛れた行動だったとしてもいいんじゃないかなと思う。

話は少し逸れるが、アーティストさんが歌う曲の力って凄いものがあるなとつくづく感じる。辛いときは勇気づけてくれるし、楽しいときはより一層気分を盛り上げてくれる。

そのときの感情や出来事も一緒に保存され、将来聴いたとき、一緒に思い出まで湧き上がってくる。当時抱いた感情そのままに...。

本当に素晴らしい職業だ。

僕に歌や音楽の才能はないけど、違う形で誰かを笑顔に、そして幸せな気持ちを届けられるような人になりたいなって強く思う。

読者の皆さんはどう思いますか?
「偽善」について。

まずはリンクから動画を視聴して、それから考えてみてください。

見ている人に感動を、そして幸せを届けるアーティストを、僕はこれからも応援し続けたいと思います。

以上、優里大好き人間からでした〜。

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