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手のなる方に呼ばれて、縁をつなぎ、縁起のいい企画を生み出すライター、編集者の仕事

「うーん……

 もし
僕が編集をするなら……ですけど、

 コピーライターの阿部さんが一冊、言葉について書きあげた本を読みたいです。それこそ『言葉でメシを食っていく』みたいな」

それは、2016年の出来事だった。5年経った今も、この言葉を覚えている。

僕は2015年から『企画でメシを食っていく』という連続講座を主宰している。各業界の最前線をひた走る方たちをゲスト講師(我ながらゲスト講師陣は本当に豪華だと思う)をお招きして、事前に課題を頂き、企画を提出し、講評を聞く。浴びるように学んだことを次の企画に活かす。その反復を半年間繰り返す。

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我が道を行く先輩たちの話には、ほとばしる熱がある。にじんでいる覚悟があるその話を聞き続けていると感化される。自分が勝手に引いていた限界という一線を超えて、参加者も思わず舞台に上がってしまうような瞬間がある。

この場で繰り広げられる話を収録して1冊の本にしたい、広く届けたいと思っていた。でも当時、僕は本なんて書いたことがなかった。だからまずは、編集者の方に相談をしてみよう、そこでご紹介頂いたのがライター、編集者の九龍(クーロン)ジョーさんだった。

主に音楽を中心に記事を書くライターでもあり、編集者としても数多くの才能と対峙して本をつくられてきている九龍さん。

ここは、下北沢の喫茶店。

九龍さんは、僕の話を聞いてくれて、そして言った。

「『言葉でメシを食っていく』みたいな、僕ならそんな本を読みたいです」

僕はその時、どんな顔をしていただろうか。微笑みはどこかへ吹っ飛び、真顔になっていたかもしれない。その言葉は、心に間違いなくクリティカルヒットしていた。僕の試みそのものを否定された訳じゃない。それはむしろ提案だった。

そして、見透かされたような気もした。著名な方たちに頼るんじゃなくて、あなたが何を書くか読みたいんです、と。

下北沢からの帰り道。うまく気持ちのまとまらない、夕方の井の頭線。帰り道のぐるぐるした感情を今も覚えている。

すぐには九龍さんに連絡できなかった。後日メッセンジャーで連絡をした。

先日は本当に
ありがとうございました!
歩みをとめず、また、
お会いできるよう、がんばります!

その時の自分は、そう連絡するのが精一杯だった。

※※※

それから4年後のことだ。九龍さんを猛烈に意識したのは、第57回ギャラクシー賞。YouTubeチャンネル「神田伯山ティービィー」が受賞する。

九龍さんは、『神田伯山ティービィー』の監修をしていた。

僕の中で「音楽の人」だった九龍さんは、「伝統芸能の人」になっていた。正確には、伝統芸能を届ける人になっていた。改めて言うのも恥ずかしいが、ギャラクシー賞は簡単に受賞できるものではない。めっちゃすごい。

驚いたし、とても気になった。何があったんだろう、と思った。

実際、『神田伯山ティービィー』の充実っぷりたるや……見始めるとクリックする手が止まらなくなる。知らなかった世界、でも知りたかった世界であふれていた。伝統芸能を開く役割としてのYouTube。まさに伝統を企画する九龍さんの話を聞きたい、聞きたい、ぜひ呼びたい!となり、2年ぶりに開講する『企画でメシを食っていく2021』のゲスト講師としてお越しいただけることになった。

そこで九龍さんから頂いた課題がこちらだった。

「伝統芸能」を調べて、あなたが見つけた魅力を説明してください。

この課題を文字通りに受けとめて、九龍さんが書かれた『伝統芸能の革命児たち』を読み込んだ。『神田伯山ティービィー』にのめり込んだ。新宿末廣亭の寄席に行った。超歌舞伎を観劇した時のことを振り返った。

でも調べれば調べるほど、僕が魅せられたのは、九龍さんがなぜ伝統芸能とここまで密接に関係していくことになったのか? その一点だった。

舞台袖​からジーっと師匠の高座を見守る弟子のように、九龍さんの企画に前のめりな自分がいた。

だって、九龍さんという存在が、伝統芸能の新しい側面を広げているんだから。同じ企画者の一人として気になる。そこに、どんな姿勢やマインドがあるのか、知りたくて、知りたくて、気づいたらドキュメンタリー映画監督の岩淵弘樹さんに連絡していた。

岩淵さんは、「BiSH」「BiS」「豆柴の大群」といった女性アイドルグループが所属する音楽事務所「WACK」の合宿オーディションに密着したドキュメンタリー映画『らいか ろりん すとん IDOL AUDiTiON』『世界でいちばん悲しいオーディション』などの監督をしている。

そして、『神田伯山ティービィー』の撮影・編集をしている。先程リンクを貼った「ギャラクシー賞受賞」の様子を届けるYouTubeでもインタビューに答えている。

僕も以前、岩淵さんとはテレビ番組の制作でご一緒していてつながりがある。この機会に改めて話を聞いてみたかったのだ。

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左がドキュメンタリー映画監督の岩淵弘樹さん

僕の感覚からすると、バンドマンやアイドルのドキュメンタリーを制作している岩淵さんが、伝統芸能をドキュメントとして追いかけていく――そこからしてもう面白い。距離があるかのように思える両者が、出合っている。

結びつけたのはきっと九龍さんだよなあ、と思ったけど、やっぱりそうだった。そのはじまりは何年も前からだった。

岩淵さん曰く、2008年くらいに、インディーズバンド『昆虫キッズ』のライブを撮ってYouTubeにアップしてて、九龍さんがいち早くそれを見つけて、Quick Japanに「野良犬カメラマンたちがYouTubeに発表しているぞ」と書いてくれた。発見してくれて、背中を押してくれた、そこからの付き合いなんです、と。

そのエピソードを聞いて、神田伯山さんと九龍さんの対談動画を思い出した。伯山さんは、九龍さんのことをこう言っている。

『いとうせいこうさんとの番組で、3年前、SWITCH(インタビュー 達人達「神田松之丞✕いとうせいこう」2017年放送)に出させていただいた時に、無名も無名で今以上に無名だった時に、それを九龍さんがちゃんとつないでくれたんですよ

そして、岩淵さんはこうも教えてくれた。

「九龍さんは、人と人をつなげるのが自分の仕事だとよく言ってますし、勘がいいというか、いい仲人だと言ってますね。この人とこの人と結びつけたらおもしろくなるんじゃないか?というのがすごくうまいんですよね」

九龍さんのキャリアも、興味の幅を指し示すかのように多様だ。

映像制作会社。築地市場の仲卸。広告代理店。出版社(コアマガジンで「@BUBKA」、太田出版で「Quick Japan」編集部に)数々の職種を経て、フリーのライター・編集者になっている。

まるで飛び石を跳ぶように、その時々の「面白い!」をつなぐように居場所を移している。守備範囲の広さ、とも言えるだろうか。大きなキャッチャーミットのようにどんな角度からも「面白い!」をつかまえることができるのかもしれない。

浅草キッドの水道橋博士も、九龍さんのことをこう紹介している。

音楽、落語、プロレス、演劇、エロ本、全ジャンルを星座状横断的に編集する「Νew松岡正剛」といった仕事ぶり(※水道橋博士のメルマ旬報より)

古くはなるが2012年のインタビューで、九龍さんはこう語っていた。

接点ありそうでなさそうなことを媒介するのが面白いですね。演劇ファンにお笑いコントの凄さを紹介するとか、音楽ファンに落語の魅力を伝えるとか。クロスオーバーってことじゃなくて、同じように楽しめるはずっていう確信があるんです。そういう根拠のない確信に支えられてここまできました(笑)【出典『フリーライター・九龍ジョー「どれだけ“いらんこと”をするかが重要」』】

『音楽ファンに落語の魅力を伝えるとか』思わず太字にしたこの一文を見て、ビビビと来た。繰り返しになるが、この記事は2012年だ。

僕がnoteの冒頭に書いた通り、2016年当時、僕は九龍さんのことを音楽の人と捉えていた。それは、九龍さんがライターの磯部涼さんと2014年に『遊びつかれた朝に―10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』という書籍を刊行していたというのもある。

九龍さんは、いつの間にか、「伝統芸能の人」になった訳じゃない。伝統芸能の「面白い!」をキャッチしつづけていたんだ。そのはじまりを知りたくて、九龍さん初の単著、2015年刊の『メモリースティック ポップカルチャーと社会をつなぐやり方』を買ってきた。

この本には、宝箱のように、九龍さんから見たカルチャーの魅力が詰まっている。落語についての記載がある。p.294の「談志が死んだ」から引用したい。九龍さんが24歳の頃に、落語と出合った時の話だ。

15年ほど前、初めてナマの高座を見た。国立演芸場でのひとり会だ。
一席目『富久』のマクラでぽつりと呟いた。
「ガンが見つかっちゃってね……もう長くないかもしれねェな」
その後、「もう長くない」は談志ファンにとっては定番ネタとなるが、あれが初めてのカミングアウトだった。当時、ワイドショーでもずいぶん取り上げられた。
(中略)
三年前に立川志らく師匠の『雨ン中の、らくだ』という本を編集した。志らくが談志について書きつくした立川談志に論であり、談志に捧げるバラードだった。
(中略)
後日、本ができると、自宅に呼んでくださった。土産でお持ちした苺大福を、おかみさんと弟さんも加えて四人で食べた。
談志師匠がポツリと言った。
「おい、若い落語家連中をな、儲けさせてやってくれ」

記憶のなかの談志は、すべて夢のようだ。

何かが流行った時、何かが話題になった時、僕らはそれが突如人気になったような印象を持つ。でも、そんな訳がない。そこに至るまでの流れがある。紆余曲折がある。その上で「今ここ」にスポットライトが当たっているにすぎない。

すべて夢のようだ、と書いた九龍さんは、その夢中を進み続けてきた。だからこそ、芸の道を進む人たちの相談を受け、YouTubeをともに立ち上げ、ギャラクシー賞を経て、『伝統芸能の革命児たち』が完成したし、伯山さんの帯の文章がある。

香港にはかつて、無計画に建て増しされた魔窟、「九龍(クーロン)城」と呼ばれる無法地帯があった。その名をどうしてペンネームに冠したのかはお会いした時に、九龍さんに聞いてみたい。

日中の一時より、深夜の一時のほうが、人の数が多かった。彼らは都庁舎越しに昇る巨大な朝日を確認してから、ようやく安堵して眠りにつくことができた。

作家の樋口毅宏さんが『ルック・バック・イン・アンガー』という小説で、当時のコアマガジン編集部の様子を上記のように描写している。おそらく同時期に九龍さんも編集部にいたのではないだろうか。その灯りの消えない、書き続けた不夜城のようなビルと、九龍城がどこか重なっているのかもしれないな、なんて思う。

九龍さんとライターの磯部涼さんの共著『遊びつかれた朝に』は、当初『音楽がなる場所』というタイトルだったそうだ。

はじめて出す本は、その先を暗示する何かがあるような気がする。業(ごう)のような何かが。

今回、伝統芸能を生で見て、映像で見て、ああいいなあ、と僕が見つけた魅力は拍手だった。ふりそそぐ拍手という名の音楽。ライブでも、寄席でも、心が弾む瞬間に人は拍手をする。広義では、すべてがポップなカルチャー。手のなる方に呼ばれて、九龍さんは、縁をつなぎ、これからも縁起のいい企画を生み出していくのかなと思う。

最後に、映画監督の岩淵さんと話していて印象的だった言葉を紹介したい。

九龍さんに、扉を開けてもらった感じなんですよね。後は、自由にって感じなんで。

2016年、『言葉でメシを食っていく』という九龍さんに掛けてもらった言葉が1つの扉だとするならば……

『待っていても、はじまらない。―潔く前に進め』
『コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術』
『それ、勝手な決めつけかもよ? だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』

僕もあれから3冊の本を出すことができた。そしてそこには自分の伝えたい「言葉への思い」が真ん中にあると胸を張って言える。

少しでも、少しずつでも、言葉でメシを食っていく自分になれていたらうれしい。

伏線を回収するかのようにようやく九龍さんとご一緒できる7月17日(土)の『企画でメシを食っていく』が今からとても楽しみだ。

ここに参加する人たちの、だれのどんな扉が開くだろう。

後は自由に。そして歩みを止めず。これから先も行く。

進めば進むほど、離れた距離は、結びついた時の面白さになる。いつか、九龍さんとガッツリご一緒できる仕事がある。また再会できる。そんな予感が今からしている。

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