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Spotifyスキップレートに関して思うこと。

先日、ジェイ・コウガミさんの記事がSNS上で多数シェアされていました。

昨今、サブスクリプション方式の音楽ストリーミングサービスが勃興して、この「スキップレート」の存在が非常に重要視されつつあります。

僕がアルバム「BRAINSTORM」をリリースした直後に、Spotifyにご挨拶に伺う機会があった時にもキュレーターの方に『「Brainstorm」はスキップ率がとても低いんですよ!』とご指摘いただいたことで、「楽曲が最後まで聴かれているかどうかをすごく重要視しているんだな。」と知りました。

ちなみに初めての方へ。「Brainstorm」はこんな曲。

音楽制作の手法を根幹から考えさせられることなので、今日はこの件について僕が感じていることを率直に書こうと思います。


開始30秒で出来ることは、本当にたくさんある。

この記事の中にも、そしてSNS上でも「イントロを短く作ろう」という新定番がどうしても蔓延しがちな印象があります。確かに僕もそう思うし、先日リリースしたソロヴァイオリンの楽曲「Blue」もイントロは本当に短い。

ヴァイオリンが鳴り始めるまで、わずか8秒。でも、別にこれはスキップされないようにしなきゃ!なんて思って作っていません。この曲にとって、イントロの長さがこれがベストだからです。スキップされないように作らないと。なんて考えて作ってません。一分一秒も無駄にせず、最初から最後まで曲にどっぷりと浸かってもらいたいという気持ち一心で作編曲しています。

人様の作品を批判したくないので、僕の作品で解説させていただき恐縮ですが。続いてこちら。「Poem, Poetry Or Not」から、「Right」。

この曲に至っては、ただただ淡々と8分音符で音を刻むピアノ一本(正確には「トーン♪」を1回ダビングしているので二本)の楽曲。イントロも何もないまま、わずかに1分27秒で終わります。その間、別にこれといって曲調が大きく変わることもないし、最後もぶつ切りのように「え?」って感じで終わります。これも、スキップレートを気にして作ったわけではありません。「この作品で描きたかった景色が、1分27秒で突如終わってしまう世界だったから」です。

「楽曲の開始30秒をどう使うか?」というのは、現代に限らずバッハ、モーツァルト、ショパンやラヴェルなどのクラシック音楽の頃から極めて重要、なんなら僕は個人的に、最初の入り方が曲の全てを決めると信じています。

あえて、はっきり言います。単に歌が始まるタイミングを早めればいい、という安直な発想は、音楽産業と音楽業界をダメにする。僕はそう思います。そんな単純な話ではないかと。


曲構成・演奏・音色の魔法こそが鍵。

音楽は、00:00が動き出した瞬間からが音楽です。音が鳴っていない時の「サーッ」というアナログ機器を通した際のノイズ音、イントロがなく、ボーカリストが歌い出して始まる前の大きなブレス(呼吸)も、音楽を作った人たちが「効果的だ」と判断してあえて残したもの。

以前事例に出させていただきましたアリアナの「thank u, next」は、確かにイントロは短いですが、それ以上に魅了されるのはイントロそのものの旋律と音色使いのクオリティの高さ!(人様の曲ですが本当に好きなので引用)

正直なお話、僕はこの曲のイントロだけをつなぎ合わせて、永遠に聴いていたい。歌を外すと、それに近いようなループトラックが顔を出します。もう、トラックそのものの音色が気持ちよすぎるんです。

YouTubeにありましたね。この曲の歌なしトラック。

あー・・・極楽。きちんと聴くと、メインリフが鳴っている箇所で「サーッ」と心地よいノイズ音が聴こえます。これ、おそらくヴィンテージシンセを繋いだ時に自然発生するノイズだと思います。うちのProphet-5でも同じ音がします 笑

このノイズ音、ヴィンテージシンセ特有の揺らぎ、エレピが左右で少しだけ歪んで割れる感触、野太いベースのピッチベンド、全てがオーガニックで気持ちがいい。そしてサビに入る瞬間の派手すぎないスウィープFx(シュワーという音)も、とっても温かみがあり、アナログ感が満載です。聴いていて耳に障ることなく、それでいて音色そのものの「生命力」が半端ない。ちなみにこれ、民生機用のスピーカーでも分かる人にはすごく伝わるようです。

歌を短くすればいいのではなく、トラックに対して絶対的に飽きさせないこだわりと思いやりを随所に「隠し味する」ことが大事だと僕は強く思います。そして、音楽を生業にする僕たちは、日々その試行錯誤をしなくてはいけないし(というかみんな当然のようにしている)、我々トラックのプロデューサー、ディレクターがその感覚を磨き続けることしか、たくさんの人に届く音楽は作れないんじゃないか。と。

偉そうに言う僕もまだまだ道半ばです。日々発見だらけ。でも、毎日真面目にトラックのことを考えているうちに、去年の今頃、つまりアルバム「BRAINSTORM」を作っていた頃には見えなかった「音楽の凄み」に少しずつ、気づけるようになってきました。


サブスクに適した楽曲制作の近道は、「音の言語化」。

これだけ膨大な楽曲に超簡単にアクセスでき、簡単に再生できるようになった今、他と差をつけるために必要なのは、

・圧倒的に、人の心に届く演奏
・ついつい体を動かしたくなる、抜群のグルーヴ感
・没個性化せず、それでいて外しすぎず予想を少しだけ裏切るコード進行
・自分らしいオリジナリティ溢れる音色作り

という4点に加え、同じように超重要な

・音色と音色の絡み合いを芸術に昇華する、魔法のようなミキシング
・サブスク市場に最適化し、音にアナログの命を吹き込むマスタリング

という、至極音楽録音する上で普遍的に大切なことを、「いかに現代的にやれるか」というアップデート精神でしかないのかな、と考えます。

僕は、「素人は音楽の歌部分しか聴いていない」論に大いなる反論をしたい。特に現代の若いリスナーの方々は、キックやベースの低域、サビ(DropやChorusともいう)で音像が大きく拡がる音演出、ヴォーカルやシンセ、ピアノなどにかかるどこまでも拡がるリバーブやディレイなど、サウンドメイクの部分にも物凄く敏感な方が多いと思います。

「イントロが長いから飛ばす」のではなく、「イントロに魅力を感じないから飛ばす」と考えれば、僕たち楽曲制作者がどれだけ丁寧に曲を作らなければいけないか、いつでも傲慢にならず、自戒し続けられます。


繰り返しになりますが、一番良くないなと思うのは、中途半端な見識だけで「イントロが長い曲はダメ」とディレクションしてしまうことだと思います。イントロが長くたって明確に名曲という音楽は確かに存在します。それらの楽曲は得てして、「イントロから超名曲」なのではないでしょうか。

音楽制作は可視化できないクリエイティブだからこそ、楽曲の狙い、どう良くしていきたい、こうしたいという明確なイメージを「言語化」することが全ての作業工程において必要です。

アレンジで「東京の夕暮れに、雨宿りしている景色が伝わるサウンドにしたい」と言って会話が共有できるか?ミキシングで「今キックが全体の中心にいるけれど、もっと一人外れて、ボトムを支えている人にできませんか?」と会話できるか?一流の方々は、手法論ではなくイメージ1つで、匠の技を駆使して答えを導こうとしてくれます。その過程の中で、イノベーションが必ず訪れる。それが、その曲の一番の魅力になるんじゃないかな。

フォーマット化したら、人々はその音楽にすぐ飽きてしまう。それなら次、更に次と潮流を追うことよりも、音楽を愛する人間として、作る能力を授かった人間として、普遍的な価値観を大切にしながら時代に合わせて「遊ぶ」方が、心を失うことなく、病むことなく健全な気持ちで臨める。僕はそう信じています。


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