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「佳境」の味わい

最近考えていることを、沸々と書くノートがあってもいいだろうと、レコーディングの合間に徒然なるままに書いている。もちろん告知があったりするだろうけど、それは僕が今リアルに生きている音楽人生の中で自然とそうしたいものとして、受け取ってもらえたら嬉しい。

noteを書くペースが落ちている

これは、正直noteに限らず他のSNSもすべからくそう。

今この瞬間は、自分自身の時間にも心にも体力にも余裕がない。

シンガー名義「leift(レフト)」のプロジェクトを始めるにあたり、
絶対に叶えたいと思っていたアルバムの制作が佳境だからだ。

アルバム制作の佳境

今日レコーディングした楽曲のセッション。

今月に入ってから、クライアントからいただいている音楽制作の仕事と並行して、本当にただひたすら曲を作って歌詞を書き、歌い、仕上げていく日々が続いている。ただ制作しているという感覚はまるでなく、

歌い出してから今に至るまでの想いを、残さず詰め込みたい。

という想いを持って臨んでいる。だからだろうか。トラック1曲を作るのにも、歌詞を書くにも、言うまでもなく歌うにも、何か重責を感じている。自分が積み重ねてきた時間、悔しくて眠れず心を荒んだ記憶、少しずつ形にできてきた喜び、そんな全てに対して「筋を通せるか」みたいな気持ち。


インストより、歌のアルバムの方がしんどい

僕の場合は、圧倒的に今そう感じている。

当たり前だけど、作業量が3倍くらい多い。

インストの場合、トラックさえ完成すればイコール楽曲完成だ。歌はまずメロディを作ってコードを置き、僕の場合は歌える状態までトラックを詰めてから歌詞を書く。(leiftの場合、歌詞を書き終えてトラックを捨て、新たに作ることもしばしば・・・)

そこから歌い、ボーカルミックスをしてから楽曲全体のミックス。楽曲を作ると言っても、僕がこれまでやってきたインスト作品と比較すると、控えめに言っても3〜4倍の工程が必要になってくる。


少しずつ良くはなっている歌

今だから話せるけど、leiftとして初期の作品『bleach』『draw』『leaves』『Beige』『Mocktails』『chord』あたりまでは、歌うのにもかなりのテイクと時間を重ねていた。僕にとって歌が最も発展途上なパートだから、歌だけは納得いくまで頑張るしかなかった。

今はどうかと言うと、去年の夏〜年末に録っていた頃より、集中して1曲ごとに1~2時間で歌が録れるようになってきた。

歌に関しては、ライブを経験したことで得た効果が大きいようだ。ライブで演奏しながら歌う訓練を重ねていくうちに、歌のスキルや声質も少しずつだけど向上していると実感できる。

何より、楽曲への向き合い方、特に歌詞に対する発音やトーンへのセルフディレクションが、少しずつできるようになってきた。


歌う自分を、他人のように褒め、労う

自ら書いた歌詞に、こう歌おうとイメージしながらメモ書きを書いていく。

僕は元々プロデュース業・作曲業を長くやってきた。歌詞や譜面を見ながら、コントロールルーム(録音ブースの外側の確認部屋)で神経を注いでディレクションもしてきた。

その感覚で僕が僕の頭の中でleiftの声で歌い、「ナイス!よかったよ!・・・ちなみに、今のテイクも凄くいいけど、もう少しこういうトライもしていい?」って、自分自身にお伺いを立てていく作業。

自分相手に1年半「は?この下手くそ」「なんで歌えねえんだよこの豚野郎!」と言わんばかりの罵声を浴びせて歌を録ってきた。今思えば、自分の理想としている声のゴールが自分で見えておらず、何を目指してディレクションしているかも、歌っているかも分からなかったのだろう。

その頃から比べれば、僕は随分と自分というアーティストが見えてきた。

・leiftさん節だと、こういう歌い回しになるよな。
・こういう歌詞だと、発音気を付けてもらったほうがいいな。
・ここは特に、音程頑張ってもらわらないと。

過去に苦戦してきた自分の発声と発音のクセへのデータベースが、少しずつ溜まってきている。歌詞を書く時点で、強調したい箇所に詰まりやすい母音や子音を意識して避けたりもしている。初期の頃は発音的に歌詞の内容が聞こえづらかった(あえてそうしていた)けど、今は歌い方を意識して変えながら、歌詞はもっと聴かせられると信じてアプローチを変えつつある。


それらがたとえ、
ほんのわずかなレベルアップだとしても、
僕は僕を褒めるようにしている。
プラスの気持ちで歌う歌の方が、
絶対にパフォーマンスが良いからだ。


プロデュースもディレクションも自分。DIYでアーティスト活動をしているから、もちろん原盤(お金を出して音源を作る)も自分。自分以外に自分の楽曲に責任を持つことができないのだから、逆を言えば、僕自身がleiftとしての最初のアルバムに「納得」することが、今は1番の目標だ。


マスタリングは2月2日。書いている今日から、あと1週間。僕は必ず自分の1年半かけた挑戦に、笑顔で打ち勝ち乗り越えられると信じている。


2月12日(日)のライブの準備

2023年、僕は絶対に引きこもらないと決めた。内側だけでなく、外にわかる形で動かないと、自分を幸せにできないと気がついたからだ。

その第一弾として、2月12日(日)のお昼に、代官山晴れたら空に豆まいてにて「innerheat」というライブをお店と一緒に企画させていただいた。

■出演者
leift
高橋多聞
TENDERLAMP

■日時
2023年2月12日(日)
開場 11:30 / 開演 12:00

■チケット
前売 3,000円 / 当日 3,500円(共に1ドリンク代 600円別途)

■ご予約


「innerheat(インナーヒート)」に込めた想い

心の内側に火を灯すような温かい場所にしたいと思って名付けた。

leiftを築いていく上で、
僕は自分の中にある「雑味」や「不完全さ」と戦ってきた。

楽曲を作り込む以上、いかに自分の中に存在する「エラー」を減らせるかが、後悔しないために必要と信じてきた。ベストを尽くし切って、やっと自分を好きになれるかどうかの瀬戸際。leiftを始め、形にすることに躍起になっていた2022年がまさに、全体的にそんな1年だった。

だけど、自分の器や思考を育てれば育てるほど気がついた。

どこまで行っても、自分が成長する限り
少し前にベストを尽くした自分に、
今の自分が「エラー」を見つけるのだと。

それは、僕が苦手意識のある歌に限った話じゃない。
僕が自信を持って臨んできたトラックメイクにも今、そう思えるし
自分という人間そのものにだって「昨年の未熟さ」を多々感じる。


熱が高すぎると、他人に伝わらない

これはあくまで僕の場合はだけど。

完成度を高めていくという工程の中に、「自分の生っぽさ・熱を冷ます」という行為が多分に盛り込まれている。自分自身の「熱さ」が、自分のエラーを引き起こしているという感覚がある。

心の中にある熱を少し冷まさないと、僕が言いたいことは他人に伝わらず、寂しく悲しい想いをしてしまう。そんな感覚を長く抱いてきた自分が、「心の中にある熱」をテーマにライブをしたいと思った。

それは、僕にとって「素の自分・ダサい自分」を肯定するために必要な挑戦であり、それが叶った時、確実に自分の中で大きく「自分の居場所だ」と思える場所が作れる。そんなふうに考えた。


心の熱に向き合って、外に出しているアーティスト2人

僕がそう思う方に、今回対バンの相談をさせていただいた。

お一人目が、TENDERLAMPのAMIさん。

タレントとして活動するが、仕事を通じて知り合ったAMIさんを僕に紹介してくれたのが最初の出会いだった。つい先日、クライアントワークの歌唱を依頼させていただき、久しぶりに会った時、leiftの在り方や楽曲、込めた想いに共鳴してくれていることを知った。

僕自身もまた、AMIちゃん(普段そう呼んでいるからそう書く)が作る楽曲には、他人を思いやりながらブレない自分像を特に歌詞から見出すことが多々ある。あくまで僕が思っていることだけど、

いろんな人へ配慮しながら、
自分は自分を持って生きるし、曲げない。

みたいな、柔軟さの中にある強い「熱」を感じる。その「熱」が決して、僕のように全面的に押し出されてこないところが、ドラマや舞台で役者業もこなす彼女の「自分と他」のバランス感覚なのだろう。羨ましい限りだ。

当日は多分、みんなの前でそんなに長く語らうタイミングもないだろうから、どこかでそんな話もゆっくり出来たらいいな。


そしてもうお一方。髙橋多聞さん。

多聞くんはnoteをやっているから、そちらも貼っておこう。

多聞くんは何を隠そう、僕がnoteでわずかな期間実施した「サークル機能」を通じて楽曲を聴かせてくれたところからのご縁だ。

当時北海道に住んでいて、音楽を作っている、リリースしたいが楽曲を聴いて欲しいと連絡をもらい、僭越ながらいくつか感じたことをお伝えさせていただいた。その時、すでに完成度が高く「またキャラの濃い人が俺のところに来てくれたもんだ」と思っていた。

その曲が、
ふとSpotifyのNew Music Wednesdayを見ていたら、
目に飛び込んできた。あれ?あのときの彼じゃん。って。

以来、彼と再度連絡を取るようになり、昨年の秋頃に「耕太郎さん、僕東京に行きます」という連絡をもらった。30代に入ってから、急に上京して音楽をやるという気概と根性が半端ねえ。上京後間もなく、同じくこのnoteを通じて僕が出会った広瀬大地くんと一緒に、我が家に遊びにきてくれた。

彼の音楽は、とにかく自身が見た景色を嘘なく表現しているのが、曲からも歌からも伝わってくる。僕が自分の中にある熱をダサいと否定しがちな中、彼はその熱を自分の魅力と自認して、楽曲に込め、全力で表現してくる。

そんな彼のことが、何かとても愛くるしいと思える。自分を余すことなく認めて歌うとは、まさに彼のような音楽家なのだろう。こう書くと自分が上から何かを言っているようで予めその立場を否定するけど、彼には「応援したくなる何か」がある。共演したいと思い、お声をかけさせていただいた。


僕が感じている「人臭さ」を存分にプラスに変えているお2人。テーマや想いに興味を持ってくれた皆さんへ。遊びに来てもらえれば、僕が言ってることが分かってもらえると思います。是非来てください。


音も、食も温かみある「晴れ豆の"アナログ"」

晴れ豆はアナログ志向のオーディオシステムと、独特の和モダンな空間(フロアを畳にもできるという面白い会場)、そして自然栽培や有機食物に敏感なフード・ドリンクサービスを兼ね備える場所。

クリスマスに僕が作った、洋梨とマッシュルームのマスタードバターソテー

当日は、お店の方々と相談しながら、当日の雰囲気に合うドリンクやフードのメニューを僕も一緒に考えさせていただくことに。寒い日のお昼時に、自然由来で心が温まるようなメニューを考えたいなと思う。


佳境を体感して思うこと

自分のアルバムの録音と仕上げをしながら、自身が企画するleift初めてのライブの準備をしながら思うこと。それは、

具体が決まっても、悩むものは悩むんだ。
だから、毎回負けずに向き合えって。

ということ。それを、
僕は去年の今頃の自分に伝えたい。

ちょうど去年の今頃に書いているこのnote。leiftを始めたくて、でもうまくいかない。録れないともがいていた頃だ。

去年の今頃に比べれば、僕は格段に動けているし、その動きが対外的に効果として返ってくるフェーズに今はいる。そんな今もなお、僕は毎日悩み考え、寝る前も起きた後も頭や首が凝り、疲れが抜けない毎日を過ごしている。水泳、ちゃんと続けてるんだけどな。


常に、始まり・途中・佳境が入り乱れる

年末の僕。photo by Ayumi Nagami

スタジオワークが続くのは、きっとアルバムを完成させてからも同じだろう。ライブ用の音源もまとめなければいけないし、アルバムがリリースされたのちにリリースする別バージョンの音源制作も控えている。今年の暮れには、まだ何の形にもなっていない、次の峠となる作品も計画してる。

ここに、クライアントワークが流れ込んでくる(と期待する)。ここで過ごす時間は去年もとても長かったけど、今年は純粋にマルチタスクぶりが加速するだろうから、体力と気力の勝負になることが予想される。

加えて、ライブ表現を追求するために、運動にも似た練習が必要だ。

リハスタでの自主練を日々のタスクに入れ始めた2023年。

僕は今年、これまでやってきた鍵盤での音楽表現に頼らないパフォーマンス、つまり歌だけの表現を磨きたいと思っている。歌そのものは言うまでもなく、それだけじゃ僕が考える表現は叶わない。ステージ上で自分が縦横無尽に動き回り、気持ちを体で届けられるアーティストになりたい。


新しいは、常に辛くて楽しくない

自分の年齢は気にしないようにしているけど、過去の運動不足も蓄積しているのか、悔しいことに疲労が溜まる速度は20代の頃より早まっている。水泳に行けば筋肉痛が翌朝襲ってくるし、リハスタで腰を落として2時間も歌えば足はガクガク。

始めたばかりだからこそ、
「ふざけんなよ、無理だよ・・・」って思う、
去年の歌えなかった自分を思い出す。

だけど、結局僕は今それらをやりたくてやってる。誰かに強制されたわけではなく、挑戦してみて必要だと思ったから更に挑戦している、の繰り返し。ならば、どれだけ苦しかろうが弱音を吐こうが、結局気持ちをより豊かにするためには「練習し続けるしかない」のだ。


結局自分は、
佳境を迎えて終わりを告げたものが生まれた瞬間に、
また「新しい自分」を探したがってしまう。

この文面にだってきっと、上で自分が否定していた「洗練しきれなくて感情的になってる"熱"」が宿ってる。どこまで行っても、そのガッツが自分だし、きっとこの先も傷ついたり痛みながらも、変なところが無神経でバグりながら前に進んでいくんだと思う。


それでも「leift 1st.アルバム」は、あと1週で終わる

その事実自体を、僕はこの1ヶ月、毎夜噛み締めながら眠りについてる。

トラックを作っては、並べてプレビューする日々。

当初思っていたleiftのアルバム像と、今聴きながら想う景色は、実際のところ随分と違う。やってみて分かったのは、僕のアルバムに「暗く、どんよりした感情」なんて要らないんだということ。

暗い気持ちなんて、過程で味わっておけばそれで充分だ。

僕が音楽を聴く時の感情を思い返したい。暗くどんよりした気分の時に、一体自分はどんな音楽に励まされたきただろう。同じく暗い音楽に共鳴してきただろうか?そんなことはなかった。

僕を突き動かしてくれたのは、「微かでも見える光や希望」「現状の自分に不満で、怒れる感情」「自分を押さえつけようとする外圧からの脱却」の3つが主だった。それは、僕がleiftを始めるにあたり、去年毎日のように聴いたプレイリストに現れている。音楽に求めているのは、たとえ内容がダークでも曲で前を向かせてくれるものだろう?と。


leiftは別に、弱くない

確かに「脆いな自分」と思うことは今も多々ある。でも、根本的には先ほど書いた通り、僕は自分がやりたいと思ったら折れずに進める人間だと思ってる。どれだけ傷つこうが、うまくいかない日々が続いたとしてもだ。

大切なのは、「弱い」という感情や自分を認めるだと思う。
そして、勇気を持って言語化することだろうと。

そういう意味で、僕はまだ進み始めたばかり。もしかしたら今後、こんなもんじゃないよって思うほどの痛みも伴うかもしれない。でも、僕は少なくとも今、「乾いて乾いて仕方がない」。この、音楽家としての「乾き」を、僕は潤してみたい。


そのために、今の僕にはシンガーleiftとしての名刺、
1st.アルバム『Beige』が絶対に必要なんだ。

もちろん、このアルバムを発端に自分自身のキャリアアップも図りたい。
でも、僕がまずこのアルバムで叶えたいのは、僕自身が
アルバムを完成させることで「マジで魅力ある存在だ」と
自分で思え、そう思ってくれる人と共鳴できることだ。


はぁ。ちょっと書きすぎたかな。
箸休めにしては、大寒波で体が冷えすぎた。
今日はこの辺で。皆さん、くれぐれもお身体ご自愛ください。



よろしければサポートをお願いいたします。サポートいただけましたら機材投資、音源制作に回させていただき、更に良い音楽を届けられるよう遣わせていただきます。