【ピアノが上手くなる方法】ええ加減に生きるという人間の優位性
こんにちは。
音楽家のこうたろうです。
本日は芸術コラムです。
先日かなり久しぶりに写真を撮っていたんですけど、ファインダーから覗く世界が以前とは少し変わっていて、世界が違って見えたんです。
具体的にはファインダーからの世界が超ええ加減に見えました。
本日はそんなええ加減なおはなし。
ええ加減力
ええ加減なやっちゃな〜は関西弁だと思うのですが、標準語では適当とか良い具合とかでしょうか。
これは"だらしない"とは別物です。
芸術の世界に関わり、一つの分岐点として感じるのはええ加減の大切さ。
音楽も写真も絵画でも。
芸術の世界は蓋を開けてみると実にええ加減な人間力を楽しむことができます。
筆者の学生時代は偉大な芸術家とは、こだわり抜いた〇〇とか、これこそが俺の表現だ〜!とか、そんなイメージを持っていました。
こんなイメージ、社会的にはマジョリティーなのではないでしょうか。
モーツァルトが最高な理由
義務教育で必ず名前を知ることになるモーツァルト。
実は私生活はめちゃめちゃだった・・・
なんて情報は昨今であればたくさん出ていますが、スタジオの記事では、もう一歩踏み込んだ面白いコラムを発信しているので、興味のある方はこちらも是非楽しんでみてください。
音楽の世界で、モーツァルトとは実に適当な男だったと伝えられています。
彼の音楽が聞きやすい理由は、まさにええ加減に作曲しているからなんですね。
スタジオのコラムにもあるように基本的にコピペでやっちゃう曲とかも結構あるわけです。
もちろんこれだけ後世に名を残す偉人ですから、ベースにある音楽力、芸術力あってのお話ではありますが、筆者の個人的な感覚としてはかなり早期にこだわりという執着を手放した存在がモーツァルト。
そして偉大な音楽家、偉人たちも歳を重ねるにつれてどんどん『こだわり』と『俺の、私の、表現』を手放しているように感じるわけです。
ちなみにモーツァルトが晩年に抱えていた借金の額は現在の価値に換算すると、約2000万円にもなると言われています。
彼の死後、この残された借金は奥様のコンスタンツェが全額返済しています・・・
が、果たしてそれは美しい夫婦愛だったのでしょうか・・・
これまたスタジオの記事にて考察しています!
ピカソが愛される理由
ピカソといえばキュピズムのイメージが強くもちろん嫌いな人もいるかもしれません。
キュピズムは一般的に『アヴィニョンの娘たち』からそのスタイルが確立されていったと言われています。
当時のバルセロナのアビニョ通り(carrer d'Avinyó)には売春宿があり、そこの売春婦たち5人を描いたものとされていますが、モデルになった売春婦たちはキュピズム革命の記念すべき第1作目のこの作品をみてどんな感想を持ったのでしょうか。。。
キュピズムは美術界ではどのように捉えられているか詳細は知りませんが、個人的には人の筋肉、世界の組成をありのままに捉える、そのまま描くというスタイルであると解釈しています。
これはピカソの表現という言い方をするのは適切ではないように感じます。
ただ、そこに在る概念をピカソが観たという言い方がしっくりきますが、みなさんはいかがでしょうか。
ありのまま、そのままという域に達するには当然ベースとなる技術が必要ですが、こういう域にまで達する状態ではおそらく実にええ加減に描いていったのではないか?
と思うわけです。
ピカソが今なお一部の人から高性能で高画質なデジタルカメラの写真よりも愛される理由はそのまま描けるという側面だったりします。
外的要因からの解放
ピカソの例がわかりやすいかもしれませんが、芸術の世界におけるええ加減力とは外的な要因から解放された状態であると言えます。
外的要因とは社会性も含まれます。
そしてもちろんエゴイズムも含まれます、エロスやタナトスも含まれるでしょう。
芸術家はその表現スキルを使っていかにこの外的要因を排除していけるのか?
が作品の性質を分けるポイントであると思います。
→作品の品質ではないので誤解のなきようお願いします。
ピカソはこんな言葉を残しています。
ゴッホはこんな言葉を残しています。
まさにエゴイズムの解放ですよね。
実にええ加減な名言たちです。
おそらくオーディエンスも芸術作品に求めること、それは外的要因からの解放なのではないか?
と、感じるわけです。
ピアノが上手くなる方法
最後は音楽の話題で締めくくりたいと思いますが、ピアノが上手くなる方法は実に簡単です。
ええ加減に弾くこと。
ちゃんと弾かないこと。
これは初心者から中級者によく見られがちな傾向ですが、きちんとしっかり丁寧に弾くことで、必要のない筋肉に力が入ったりします。
また、フォームを崩さないようにと意識するあまりに逆に不適切なフォームで演奏することになっちゃう。
力まず
力を抜いて
ええ加減に指先でピアノとの対話を楽しんでください。
バート・バカラックはそんなええ加減なピアニストの一人。
ピアノとバカラックがただそこに在る。
お互いに何も押し付けず、何も求めず、ただただええ加減に対話する。
外的要因が全くない、ありのままピアノをただ愛でるバカラックの演奏はまさに人を超越した神々しい存在です。
久しぶりに調べて知りましたが、2023年2月8日にロサンゼルスの自宅にて自然死(94歳没)を迎えたそうです。
人工知能には決して到達することのない人間の優位性がここにあります。
ピカソもゴッホも、モーツァルトやバカラックも、ええ加減だからこそ神の世界にある美しいアートがそこにはあります。
では。