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<ネタにできる古典(5)>稲妻の歌

 『六百番歌合』の名勝負からひとつ。良く似た稲妻の歌。

左 勝      有家朝臣
風渡る浅茅が上の露にだに宿りも果てぬ宵の稲妻
右        家隆
眺むれば風吹く野辺の露にだに宿りも果てぬ稲妻の影


風が吹き渡る
カヤの葉が揺れる その上の
吹かれ飛んで行く露にさえ
宿ったと思えば消えてしまう
宵の頃の稲妻は

眺めていると
風が吹く野辺の
吹かれ飛んで行く露にさえ
宿ったと思えば消えてしまう
稲妻の光は

六百番歌合 秋(上) 十八番 335 336

 同じ稲妻を歌った二首で、「露にだに宿りも果てぬ」を共有しています。ひょっとしたら事前にこの二句を使うように申し合わせていたのかもしれません。
 左方からは「右歌、雖似左方、詞続き、心ゆかず」という批判が加えられました。それを新大系では「第一句で作者の行為を示し、第二句以下では視点を変えて情景を描写するという点に続きの悪さがあるとしたものか」と推測しています。僕が訳していても、情景描写から入る有家歌に比べて家隆歌は訳しにくいです。「眺むれば」と情景との関わりがぎこちない気がします。
 判詞では「左は『宵の稲妻』といひ、右は『稲妻の影』といへる、事の外に劣れるにや。」と述べて左に勝ちを与えます。「稲妻の影」は同意反復とまではいかないけどちょっとくどい印象。それを責めたものでしょうか。
 和歌の言葉の続け方について考えさせられる組み合わせでした。



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