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新古今和歌集の風景 1

 あけましておめでとうございます。今年も国語教員として中高生に伝わる和歌の語り方を探っていこうと思います。
 昨年は玉葉和歌集や後水尾院御集をゆっくり読んでおりました。それは確かに美しく心躍る時間でした。でもしばらくすると何だか新古今和歌集が懐かしくなっている自分に気がつきました。それはきっと僕が学生時代に和歌の世界への第一歩を踏み出した先が新古今集だったからなのでしょう。とはいえ当時のその一歩は何も装備しないままジャングルへの冒険に旅立つような無謀でしかなかったのですけれど。
 というわけで今年は新古今和歌集を改めて読んでいこうと思います。ただし読んで訳すことを目的とはしません。今年は訳ではなく風景の言語化を目指してみようと思います。訳と風景の言語化の違いもやっているうちに見えてくることでしょう。
 それではよろしくお願いします。

み吉野は山も霞みて白雪のふりにし里に春はきにけり

新古今和歌集 1   藤原良経

 懐かしい場所ってありますか?東京に出た人にとっての故郷のような。久しぶりに訪れるおばあちゃんの家のような。
 平安人にとって奈良はそんな世界です。美しい風景と心安らぐのどかな空気。そして確かに自分のルーツである場所。
 そんな奈良を代表する山の一つが吉野です。では吉野はどんな山だったのでしょうか。現代では千本桜に埋め尽くされる爛漫の春のイメージが強いことでしょう。でも平安時代を通じ親しまれていたのはむしろ雪でした。特に麓の里との対比が多かったんですね。里では時雨が降っているのに吉野山ではもう雪が降っていたり。あるいは里には春が訪れているのに吉野山ではまだ雪が残っていたり。
 そういう伝統を踏まえて詠まれたのが今回の歌です。そう思ってながめてみると「山も霞みて」の「も」の意味が分かってくるでしょう。この「も」には「今までとは違って麓の里だけではなくて山までも」の意味がこめられています。平安時代を通じて詠まれてきた山と里との対比を踏まえつつその先を行こうとしているんです。伝統と革新の同居。格好良いでしょう。これが新古今和歌集です。
 詠者の藤原良経は「も」の一文字で里と山とをひっくるめて一つの世界にまとめてみせました。そうして吉野を一息に霞の色に染め上げたのです。
 平安人のルーツである奈良の世界に最大限のリスペクトを献じながら同時に革新をもたらす。そんな奇跡をやってのけたのが藤原良経です。そしてそんな一首を作品集の冒頭歌に選んだのが新古今和歌集なのでした。



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