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むかしいってた塾のこと


私は「応用編」が全くだめな子どもだった。
好きな国語も、授業でやった話は大丈夫だけれど、模試とかになるととたんに、こたえをまちがえる。
算数でも数学でも、基礎はすらすら解ける。でも、応用になったとたんに、解けなくなる。

というのをものすごく思い出すのが、中学の時にほんの少しだけ行った、塾。
そもそも、「クラス」というのがとても窮屈で苦手で、おちつかない私。塾は勉強するところだから、と、意を決してどきどき入ったけれど、そこは見事な小さな小さな「クラス」だった。全部で10人くらいだったかな。小さな部屋にきゆっ。と座って、女の子がふたりいたかな。でも、その子たちはもうふたりがお友だちだったから私の入る隙間なんてみじんもなく。次の授業がはじまるまでのもぞもぞする居心地の悪さ。
ああ。こういうのがへっちゃらな自分になりたかったなあ。

そんなこんなで、授業がはじまって。
数学問題。できたら先生のところへ持っていく。という流れだったけれども、冒頭に書いた通り、基礎はすらすら。早いねえ。と言わたことも覚えている。けれど、応用編は、一気に解けなくなる。わからない。
なんで、あんなに解けたのに、一気に解けなくなるのかもわからない。
ようするに、うわべだけで、中がわかってないのだろう。そんな思い出が残っていて、結局、その後どうしたのかは覚えていない。

行けば行くほど、理解しに行ってるはずなのに、理解してはない。のがよくわかって、これは…無駄なのでは…と、何ヶ月か後にやめて、家で勉強するようになった。
中学3年のとき、お友達と行った塾も、個別指導、ではないけれど、自分で進めた分をやる。みたいな感じで、最初のよりは行きやすかったけれど、自分の力になったかは、わからない。

学校の先生から、
「こつこつ」がんばるんですけど、成果があがらないねえ、とよく言われた。わたしもとても、そうおもう。

そんな私が、自分に見合わない偏差値の高校受験を受けることにした。理由は、1番、近いから。
滑り止めの私立も、受けるだけでお金がとてもかかることを知って、え…うち…無理じゃない?とおもって、その普通に考えたらぜったい受からないであろう高校一本で行った。度胸があるのかばかなのかとても、心配症のくせに、そういうところはよく考えていないのか。(それとも、忘れてしまっているだけか)

まあ、結果、受かりまして。(びっくり)
先生に報告しに行ったら、おまえがいちばんしんぱいだったんだ…!と心の底から喜んでくれたのもとても覚えている。(今でも年賀状とか、個展とか来てくださいますへへ…)たぶん、私が考えているより、心配してくれていたとおもう。ありがとうございます…

たぶん、本気で1校しか受けてなかったことと、とりあえず、悪さの方で手のかかる生徒ではなかったのと、先生たちはとても気にかけてくださるというか、優しくて、そういう内申点みたいのが発動して、受かったのではないかな説が大きい。ありがたや…

大人になったら、わかるんだろうな。とおもっていた箇所は、大人になってもよくわからないものだよ。ということをあの頃の自分に教えてあげたい。
勉強、好きだったんだけどな。
何がたりなかったんだろ。
たぶん、過去に戻っても、勉強の容量の悪さは変わらない気がする。

とりあえず、「わかることは一つでも多いほう」が、人生楽しいし、世界が広がるのでおすすめです。