デュルケム『自殺論』について解説。激動の時代を生き抜くヒント

問:『自殺論』について、150字以内で説明しなさい。



ダメな解答例:
まあ自殺について論じるんやろ・・・知らんけど



解答例:
自殺論とは、フランスの社会学者エミール・デュルケムの著書であり、自殺の問題を初めて社会学的に解明したもので、ここでは個人的,心理的事実に還元できない、自殺の社会的事実の存在が証明されている。自殺の原因を貧困や精神疾患といった個人的なものでなく、社会的なものに求めたのが特徴である。(140字)


《人はどうして自殺をするのか》


 地球上の生物の中でも自殺をするのは人間だけだと言われている。生物には本来生存欲求があり、それに逆らうような行為は基本的にできないようになっている。人間にその一線を踏み越えさせるものは一体何であろうか。
 デュルケムの自殺論が出版されたのは1897年であるが、それより前からも自殺という現象自体は存在した。しかし、その原因について詳細な分析がされていた訳ではなく、精神疾患(神経衰弱)や貧困が原因であろうと事後的に考えられることが多かった。
死者に「なんで死んだんですか?」とアンケートを取ることもできないので、知人の証言や遺品の状況から推測するしかなく、そうなるとやはり、経済状態や精神状態に問題があったのではないかという結論に帰結されがちになる。
 ちなみに平成27年度の日本の統計においては、自殺の理由は
1位:健康問題(精神疾患)
2位:理由不明
3位:経済・生活の問題
となっており、理由のわからない自殺というものが多く、また、原因がわかっているものでもそれが唯一の原因とは限らない。(健康上の問題のせいで働けなくなって貧困になったのかもしれないし、生活上の問題がきっかけで精神疾患になったのかもしれない)


《デュルケムの自殺分析》


デュルケムが生きた19世紀のフランスでも自殺は社会問題となっていた。地下鉄やエッフェル塔が建造され、印象派絵画などの文化も開花し、豊かな文明社会が実現されたにも関わらず、自殺が減ることはなかった。そしてそこでもやはり、精神疾患と経済的事情が指摘されていた。
 だが、自殺統計をよく観察すると、この2つの理由に当てはまらない動きがあることがわかる。
・精神疾患患者の男女比はほぼ同じであるのに自殺率は男性の方が明らかに高い
・不況時に自殺が急増するということはなく、むしろ好況時において増える
・所得額と自殺率には明確な因果関係が無い、むしろ高所得者の自殺も多い
・戦争や政権交代などの大きな社会変革のある時期は自殺者が減っている


デュルケムは膨大なデータを取り出してこれらの事を明らかにし、精神疾患と経済以外の原因を探した。その結果、次のようなことがわかった。
・農村居住者より都市居住者の方が自殺率が高い
・農業従事者より専門職従事者の方が自殺率が高い
・世帯持ちの人より独身・独居の人の方が自殺率が高い
・カトリック系の人よりプロテスタント系の人の方が自殺率が高い※1

※1 キリスト教のカトリックとプロテスタント
カトリックは教会を恵みの取次ぎ者として考え、聖書の正典を決めた教会の権威は、聖書の権威よりも上にたつと考える。教皇を中心に教会を組織し、信者が教会に集まって歌ったりすることも多い。
プロテスタントは聖書、神の御言葉に権威があると主張する。その権威に基づいて教会を形成する。聖書の教義に対して厳密で、信者同士の交流より、聖書を基にした個別の信仰が大切であるとされる。


 このようなデータから、デュルケムは「社会的な繋がりの強弱が自殺率に影響を与える」と推測した。確かに、他者との交流が希薄になりそうな属性の人に自殺が多い。著書『自殺論』ではこのように述べられる。

「社会の統合が弱まると、それに応じて、個人も社会生活から引き離されざるを得ないし、個人に特有の目的がもっぱら共同の目的に対して優越せざるを得なくなり、要するに、個人の個性が集合体の個性以上のものとならざるを得ない。個人の属している集団が弱まれば弱まるほど、個人はそれに依存しなくなり、したがってますます自己自身のみに依拠し、私的関心にもとづく行為準則以外の準則を認めなくなる」

デュルケムは社会の結びつきが弱くなった結果、人々は個人・自分自身へと関心を向けていると指摘し、このように伝統的価値や社会的規準が弱まった状態をアノミー※2と呼んだ。

※2 アノミー
もとは「神法の無視」「無規則性」を意味するギリシア語の anomiaが語源であるが、中世以来廃語になっていたものをデュルケムが社会学概念として定式化し,〈行為を規制する共通の価値や道徳的規準を失った混沌状態〉と定義した。現代においては、社会的規範が失われ、社会が乱れて無統制になった状態という意味だけでなく、そこから転じて、高度に技術化・都市化した社会で、親密感が欠けることによって起こる疎外感といった意味でも用いられる。

そしてデュルケムは社会統合の強弱と私的関心の強弱を掛け合わせて自殺の4類型を作った。図解すると以下のようになる。

画像1

① 社会統合が弱く、私的関心も弱い。何をしたらいいのかわからない。(無気力、空虚感による自殺)
② 社会統合が強く、個人が集団の為に犠牲になる(殉職や生贄)
③ 社会統合が弱く、私的関心が強いので、私的な欲望を社会に規制されることが無く、自分の欲求をどこまでも追及しては欲求不満を募らせる
④ 社会統合が強くて私的関心が満たされず、息苦しい世の中に感じる(心中、憤死)

デュルケムはこれらの中でも、③アノミー的自殺が増加していると指摘し、社会の結合の弱体化が自殺の原因であるとした。つまり、社会による統制や規範が弱体化し、自己の欲求を無限に追及できる(ように見える)にも関わらず、実際に成功できる人間はごく一部であるということが人々の“生きにくさ”に繋がっているとした。
確かに現代に当てはめて考えてみても、貧しくてもしっかりと勉強をして学費免除で学校に行く人もいれば、学校を中退していてもビジネスの世界で成功している人もいる。そういったすごいエピソードを比較的簡単に見たり聞いたりできるので、「もしかしたら自分も・・・」という気にもなる。しかし、そういった成功を収めるのは一握りの人間である。昔のように家柄や身分や法によって成功の道が閉ざされている訳でもないのに自分は上手くいかない。それは自己責任ということに帰結せざるをえない。また、当初目標にしていた程度の成功を収めても、更に成功している人が目に入ってしまう。すると、「まだ足りない、もっと頑張らないと」と感じてしまう。法や社会に自分の欲望を規制されることが無いにもかかわらず、自分の欲求は満たされない。このいびつさがアノミー的自殺の原因である。

そしてもう一つ増加しているのが自己本位型自殺である。生きる意味を見失って、誰にも何も言わずにひっそりと死んでいくパターンである。社会全体が豊かになると、個人で自立した目的を探す必要が出てくる。それが自分の中に見つからなかったり、かつては存在したけれど失ってしまった場合に憂鬱な気分になる。
いずれにしても、社会の規制が弱くなることで、人々は「個として生きる」ことを強いられる。個である自意識が肥大化しすぎればその重みに耐えきれないし、個が見つからないこともまた憂いの原因となるのである。


※ワンポイントアドバイス


デュルケムの理論を紹介しましたが、その上で改めて統計データを見直してみてください。当てはまる部分、そうでない部分が見つかると思います。同時に、デュルケムのアノミー論の優れているところ、不十分なところを検討してみましょう。


※追記

ここまで読んでいただいてありがとうございます。
学びがあったと思っていただけましたら、SNS等でシェアしていただけますと幸いです。

また、現状としては読者の方がどういった点を解説してほしいのか、どういったテーマを掘り下げてみたいのかということがあまりわからないまま記事を書いています。
ご意見やリクエスト等、コメント欄に打ち込んでいただけないでしょうか?
「こういうことがわかりました」「こういうことが難しかったです」といったアウトプットの場にしていただいても構いません。
よろしくお願いいたします。

放送大学在学中の限界サラリーマンですが、サポートは書籍の購入にあて、更に質の高い発信をしていきます!