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大きな誤解を生みそうだが、しかし

「こちらに来て頂いていいですか」「ぼくと一緒に来ていただけますか」「お風呂の準備が出来たので、こちらへ来ていただいていいですか」「そちらの椅子に座ってもらっていですか」「上着を洗濯に出したいので、脱いで頂いていですか」「少しお手伝いさせて頂きますね。」「ありがとうございます。洗濯させてもらいますね。」「じゃあズボンも洗濯に出したいので、一度立って頂いていいですか」「ズボン下ろすのだけお手伝いさせてくださいね」「一度座って頂いていいですか」「じゃあ、ズボン脱いでもらえますか。ズボンを洗濯に出しますね」「そしたら浴室にいきましょう。」「あちらの椅子に座って頂いていいですか」

独り言のようで、
独り言じゃない。

失語があって認知症があって、相手から発せられる言葉はひとこともない。でも表情がある。空気を発し感情を伝えてくれて行動に移してくれる。
会話に比重を置いていないだけで、コミュニケーションの手段を失っているわけではない。だからそ受け取る側の介護職員は、注意深く観て感じ取る感性と技術、洞察力と想像力が必要なのだと思う。

この方は、ぼく以外の介護者には強く「入浴拒否」を示す。いつしかこの方の入浴介助はぼくがほとんどするようになった。
ぼく以外の介護職員が入浴介助をすると、眉間に皺を寄せ怒りを露わにし、手を振り払い頑なに拒絶反応を示す。ぼくが入浴介助するときは笑ったりして楽しく入浴している。

困惑する介護職員をよそに(別の施設でもかなり苦戦しているらしい)、

「どうしてなんですかねぇ〜?
ぼくにはそんな、怒りを露わにすることなんてないですけどねぇ〜」

なんて他の職員にはトボけているのだけれど、

ぼくの中ではきちんと理由があって明確な意図がある。

介護職員は心のどこかで強者に立つことがあると思う。体力のない高齢者、活力の低い高齢者と対峙した時に、どこか横柄になったり、言うことを聞かせようと自分の枠のなかで自分を押し付けてしまうことがある。
そんなことはないと表向きな対応をしても、奥底の精神性は滲み出てしまうのだ。そういった精神性の機微を認知症の人は敏感に感じ取る。

ものの言い方や接し方だけで取り繕えることではないように思う。

ぼくはその方と接する時、そのことに一番気を遣っているから。目に見えない精神性を言葉にするなら「尊厳」「敬意」ということになるのだろうか。「愛情」とか「思いやり」とかではなく、もっと対等な関係性。

この感じはなんとなく、芸人をしている時に養われた感覚だと思う。芸人の世界は年下だろうが先にその世界に入った芸人が先輩だ。いわゆる「兄さん」「姉さん」の世界。
「りあるキッズ兄さん」であり「安達祐実姉さん」なのだ。正直、どうしようもない兄さんもいる。借金があって自己破産しているのにギャンブルや酒がやめられない兄さんもいれば、コンパばっかりやってネタを考えない兄さんもいたり。尊敬に値しない人でも、兄さんである以上無条件の敬意があるのだ。
彼らと高齢者が一緒という意味ではないし大きな誤解を生みそうだが、そして他の介護職員を否定しているわけではないのだが。

結局、何が言いたいかというと、

「ぼく、すごくないですか?」と、褒めて欲しいということなのです。

それと、ぼくはその方が圧倒的に好きなのである。

介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。