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笑わせたいし笑いたい

やっぱりぼくの心の奥底には、笑わせたいという欲求がある。

芸人をしていたという理由があるのかもしれないが、いやそもそもお笑い芸人を目指す奴なんてぼくを含めてロクな家庭環境のやつはいなかった。
幼少期、笑いと縁遠かったからこそ、笑いを欲する欲求が強いのは自然の摂理だと思う。

ぼくは母子家庭で育ったし、ふたつ上の兄は引きこもり。ぼくが10代のころのウチは完全に崩壊していた。笑いなんてものはなく、絶叫と悲しみ涙の日々の方が多かった。
ある芸人の同期は弟が障害を抱えていたし、ある芸人の後輩は母親がパートナーを取っ替え引っ換えし、家族構成が新ドラマの人物相関図みたいになっていた。
こうした悲しみや憤りを笑いに変えられることが、人が笑いを求める本質だと理解している。

介護の現場ではどうだろう。そのまま直視したら目も当てられない悲しい現実しかない。そりゃそうだ。国が認める「あなたは介護が必要な方です」という、言葉は悪いがレッテルを貼られている訳だ。貼る方はいい。貼られる方の気持ちよ。「お前はもう、ひとりでは生きていけない」とケンシロウに言われたとしたらどうだろ。アベシッ!でさーね。
そうして心に七つの傷を持った人に「大変だったね」「痛くない」「しんどい」って声をかけることの意味のなさ。「余計しんどなるからやめとくれ」ってなるでしょう。「今日元気ないね」って声かけてくる人くらい意味わからん。
それなら、何も言わず笑顔で微笑む方が有意義に決まっている。そして「ご機嫌麗しゅう、マドモアゼル」とするほうがいい。

人間笑っている時は、攻撃的にならない。竹中直人以外は。

以前、認知症で介護拒否が強く何もさせてもらえないおばあちゃんがいた。

とくに入浴介助の拒否が強く「お風呂どうですかぁ〜」とやさしい言い方で誘っても「うるさい!あっちいけ!◯せぇー!」と怒鳴られ、噛みつくわ引っ掻くわ頭突きしてくるわ喚き散らすわで手に追えない。そういう方に限って、ご家族が入浴を希望しているというのは当然といえば当然なのだが。

いつも通り一進一退の攻防で入浴へと案内していたところ、腕を噛まれた。人間の甘噛みは結構痛い。「イタタタ!」ってぼくは叫んだ。芸人としてリアクションが染み付いているのか、それともおいしいと勘違いしているのか「◯すきかっ!」っとノリツッコミしてみたら、ウケた。
それから機嫌が良くなって、奇跡的にダメージ少なく入浴できたことがある。これを成功体験と呼ぶには心許ないが、ぼくは笑いが持つチカラを再確認した。

笑わしたいし、自分も笑いたい。
笑いのあるところには悲しみも怒りもない。
笑いのある時間、一瞬の笑いの積み重ねが大事だ。

やっぱり笑いってええなぁって思う。

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