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残存能力(ざんぞんのうりょく)

介護の勉強をしていると出てくるこの言葉。

ぼくは、この言葉が嫌いだ。

ザンゾンノウリョク。まず音の響きが好きじゃない。濁点が耳障りだし漢字の見た目もカタイ。意味はそのまま「その人に残された能力」。要するに、できること・できないことを見極めて、できることは本人に動いてもらえるように介護者が支えるようにして能力の維持に努めていきましょう、ということ。(間違ってたらすみません)
大人だから言っていることはわかる。決してネガティブな発想で生まれた言葉でないことは理解できる。でも、この「残された」という解釈が気にくわない。

たとえば人が生きている上で障害を負ったり大病を患ったりすると、その障害や大病を「神様に与えられた試練」などと言う。この解釈はポジティブに変換しようとしている努力が垣間見える。

たとえば暴走族を珍走団に言い換えたら暴走行為をする若者が減るとか、ヤンキーをモンキーに言い換えたら不良がいなくなるとか。ヤクザをアベックと言ってみたらどうだろう。これは死語になったダサい言葉を蘇らせ、怖さを和らげるという試みだ。

そこで、残存能力。

その、あなた方(誰?)が考えた残存能力という解釈からくる「残された能力」は。きっと意味があって残されている。だからもっと、気分が上がる言葉にしていただけないでしょうか。

希望機能。エナジーギア。パーソナルチャージャー。倍々。尖り。光の差す方へ。第7感。

利用者さんに「残存能力を活かして、できることはご自身でやるようにしましょう」とは言わないかもしれないけれど、概念は言葉が作ってしまうもの。もう少しユーモアがあってもいいんじゃない?

90歳を越えた重度認知症のおばあちゃんが誤嚥性肺炎で入院した。結果的に半年間の入院になり、口から食べ物を摂取することが難しい・危険との判断で胃ろうになった。きちんと栄養を摂るためだそうなのだが、このケースの場合、入院が長引きそのまま戻って来られないことが多い。
しかしそのおばあちゃんは、夫の献身的な介護もあり体力が徐々に回復する。退院し、口から食事を摂れるようになり胃ろうを閉じた。自宅復帰し施設にも通っているそうだ。今では、ゆっくりだが箸を使い自分でご飯を食べているという。

いわばこれも、消化機能の残存能力であり、咀嚼や嚥下の残存機能であり、自分で食事ができるという残存機能というのか?

いや残された能力、残存能力で片付く話か?

諦めないこと、生きること・命の尊さを教えられるエピソードだ。

ぼくは「リバー・フェニックス」と呼びたい。「リバース・フェニックス」か。なんか「戻る」と「不死身」がややこしいか。こうして可能性を一緒に探していくことこそ、介護の面白さでもある。

理屈は破綻し引き合いに出すエピソードは不適切かもしれないが、知ったことではない。

ぼくだけだろうか、こんなこと考えるのは。でも「廃用症候群」を「生活不活発病」と言い換えたのはどうしてか。いや「生活不活発病」も大概やな。

とにかくぼくは、残存機能という言葉が好きではないし使いたくない。


介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。