映画「アキラとあきら」を見て
はじめに
先日、Amazon Primeでおすすめに出てきた映画で池井戸潤に最近になってハマってきたので(この前は7つの会議を見た)今回もすぐにポチッていた。
この映画は、あきら(アキラ)と同じ名前であるが、生まれや育ってきた環境も異なる2人の青年が入社したメガバングでバンカーとして、そしてその先にある大きな試練に立ち向かう物語でした。
あらすじ
====詳細=====
父親の経営する町工場が倒産し、幼くして過酷な運命に翻弄されてきた山崎瑛〈アキラ〉と、大企業の御曹司ながら次期社長の椅子を拒絶し、血縁のしがらみに抗い続ける階堂彬〈あきら〉。
日本有数のメガバンクに同期入社した二人は、お互いの信念の違いから反目し合いながらも、ライバルとしてしのぎを削っていたが、それぞれの前に現実という壁が立ちはだかる。〈アキラ〉は自分の信念を貫いた結果、左遷される。
一方で、〈あきら〉も目を背け続けていた階堂家の親族同士の骨肉の争いに巻き込まれていく。
そして持ち上がった階堂グループの倒産の危機を前に、〈アキラ〉と〈あきら〉の運命は再び交差する 。
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考えたこと
この映画を見て、考えさせられたことがあったので、その言葉と共に紹介します。
(⚠︎ネタバレを含んでいます)
晴れの日に傘を貸して、雨の日に傘を返せというのが銀行員
これは、銀行の貸し剝がしは何もない時は融資したのに、不景気になったら金を徴収しようとすることを意味しています。ひいては、これが日本の不景気を長引かせるキッカケでした。
また、↑のように考えることはお金を貸すバンカーとしては合理的であるため、銀行側として盤石な基盤を保ち続けるためには必要不可欠な考えであることは納得もできます。
しかしながら、<アキラ>は会社にお金を貸すのではなく、その先、働く従業員の家庭に対してお金を貸すというスタンスであり、これは市幼少期の父の町工場が倒産した経験からくるものだったのでしょう。
そうした『温情で人を見ていた』アキラだったので(論理よりも感情なタイプ)左遷されることになるのですが、物語の最後には関わる誰もが悲しむことのない選択を導くことができるようになるのでした。
このことから、私は人生を通して、
論理を大事にして整合性がとれているのかに重きを置くことよりも、
<アキラ>のように人たらしのようなスタンスで感情論>>
後から整合性のある(納得できる)回答を作ることこそが
自分の性格や生き方、そして素敵な人生を過ごせるのだと感じました。
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