見出し画像

「自分が生きる意味」について悩む人が本当にいるらしい

「なぜ悩むのか理解できない」側の人間からの発信だよ!
真正面から「分からん」と言われるとイラッとするメンタリティのときは読むのをやめておこう!

とりあえず初手で宇宙創生まで遡ろう

宇宙ってなんかすごい。
何がすごいのか全然理解が追いつかないけども、スケールがヤバい。
なんか無限に広がっているらしい。

そしてその途中で偶然ぽこっと生まれたのが地球であり、
その小さな星の中でわちゃわちゃといろいろな化学反応が起きた結果、
生物という概念が誕生し、増え、環境に合わせて進化し……

で、なんやかんやで今の我々があります。

「そう思うと今の私達の悩みなんてちっぽけな……」云々ではなく、
そもそも人間って地球という環境で種を増やすために進化した結果、現在の形に落ち着いただけの一つの生物なんよね。

生物の生きる意味とは?
種を残すこと。増えること。以上。

人間が生物である以上、それ以上でもそれ以下でもないので悩む余地がない……
というのが、わたくし「自分が生きる意味について悩まない」派の主張です。

だとしても自分に生きる意味はないが?

私もない。
結婚予定もなければ子供を産む予定はもっとない。

だけどそれでいいんです。
なぜなら、種を残すには多様性が必要だから。
役に立つ・立たないは全く関係なく、ただ多様であることが、生物が増えていくうえで重要だ。

たとえば、この現代社会に実は「男女で交わると10年後に死ぬウイルス」みたいなのが蔓延しているかもしれない。
生物として増えることについて長けた種しか存在していなければ、10年後に人類は死滅することになる。
が、残す気も増える気もない人間が一定数存在するので、人類はちゃんと存続するだろう。

多様であることが大事というのはざっっっくり言うとそういうことで、
ぱっと見ダメな点にしか見えなくても、多様であるというだけで全ての人間には生きる意味がある
安心して欲しい!

でも多分、そうじゃないよな。

欲しいのは本当に「生きる意味」か?

分からん! 分からんけど、分からんなりに、できるだけ寄り添いたいというか、同じ位置に立ちたい。
ので、私なりに近しい感覚を持っていたような気がするときのことを考えてみる。

私が鬱っぽくなっていた間に求めていたのは、「生きる意味」ではなかった

自分で自分の価値について考えると、どう考えても自分は死んだ方がいいという結論に達してしまう。
けど私に自殺する度胸はなかった。
となると「死ななければ」「でも死にたくない」の板挟みになって余計に苦しみが発生する。

そうなったときに私が求めたのは「生きる理由」だった。
「あなたのことが好きだから生きていて欲しい」と言われたかったし、
「あの会社が悪いんだから、悪くないあなたは生きていていい」と言われたかった。
「あの推しのライブに行きたいから生きる!」と言えるほどの強い思いがあれば生きることを許されると思ったから、それくらいの強い感情が欲しかった。

みんな求めているのはこれじゃないのか?
どうなんだろう。違うのかな。

で、この「生きる理由」というやつは難しい。
主観的だからだ。全部自分で決められるから難しい。
別に「明日の朝ごはんが楽しみだから」でもいいのに、「自分が一家の大黒柱であり、親であり、仲間の輪の中心だから」ぐらいハードルを上げることもできてしまう。

まあ誰かの求める「生きる意味」が私の言う「生きる理由」と同じものなのかどうかは、私には分からないのであんまり喋らないでおく。
主観的かつ抽象的な思考なんてまったくあてにならないから、別のこと考えたほうがいいなという結論には至っている。

ちなみに鬱の人間にこの考え方をぶつけるのはやめよう

鬱の人間に「人間は多様であるだけで生きている意味がある!」とか頭ハッピーセットみたいなことを言うと、
まったく響かないだけならまだいい方で、
「確かに自分ってすごくちっぽけで取るに足らない存在だな」って最悪死んじゃうのでやめような。

私だって鬱だったときは「あ、そう」としか思わなかった。
自分がしんどいという事実だけが今目の前にあることなので、人類がどうとかどうでもいい。

ちょっと精神的に元気の出てきた人間が、「でも自分の生きる意味ってなんなんだろう……」ってモヤモヤしてるときに、
こういう考え方を取り入れてみるとちょっと世界の見え方が変わるかもしれない。
変わらないかもしれない。

自分の文章を読んでもらえることが、文字を書く人間にとっての最大の喜びです。ここまで読んでいただき本当にありがとうございます! ※もしお金に余裕があれば、ここ↓からサポートを投げて頂けると、なんと!私の晩ごはんの鶏むね肉が鶏もも肉になります!