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散歩中に景色なんて見なくていい

最近、歩くことが趣味になった。
定期的に出かけるわけではなく、外出のついでに歩ける距離は歩こうという感じだ。
買い物や通院のときにぐるっと遠回りをしてみたり、数駅の外出なら電車を使わず歩いたりしている。

大学生の頃、友達とディズニーランドに行って、夕方頃、歩き疲れて足が痛くて動けなくなったことがある。
呆れられつつなんとかホテルに辿り着いたはいいものの、悔しいやら申し訳ないやらで散々だった。

しかし体力をつけようにも、運動が続かない。
私は走ることが世界で1番嫌いだし、用事がなければ何日でも家にこもっていられる出不精だ。

歩くようになったきっかけ

私は数年前、双極性障害による抑うつ状態で会社を退職した。
退職した直後は積極的に歩くなんてもってのほかだった。
2駅先の病院に行くための電車で何度も死を考えるし、週に1回、徒歩5分のスーパーに行くので精一杯だった。

抑うつが改善されたのは、歩くようになったおかげ……なわけがない
薬である。ラモトリギンという薬がとてもよく合った。
順序的には、「薬で調子が良くなった→ちょっと歩いてみる気分になった」が正しい。
抑うつ状態の人に、改善するために歩けとか言うのは無茶である。順序が違う。

最初は、病院からの帰り道だった。
病院は2駅先にあったが、正確には1駅→乗り換え→1駅だ。
この乗り換えが割と難儀で、タイミングが悪いと10~15分待ったりする。
とある日、調子が良くなってきた私はふと思いついた。
待つくらいなら1駅くらい歩いてみようかな? 交通費の節約にもなるし……

主な目的は交通費の節約、次に「抑うつに散歩がいいと聞くから」だった。
ホームでぼーっと待っているのは別に苦ではなかったが、余計なお金が減るのは苦だった。

1駅なら割とあっさり歩けた。
それ以降は、気が向いたら同じように1駅歩くようになり、それが2駅ともになり、行きも歩いてみるようになったり。
そんなふうにして私は、歩くことを習慣にしていった。

散歩の楽しみかた

私は歩いている間、ずっとノイズキャンセリングイヤホンで音楽を聴いている。
しかし歩いている間は音楽を楽しんでいる、というわけでもない。

私にとって散歩は、いわば「合法的に考え事に耽っていられる時間」なのだ。
布団でゴロゴロしながら考え事をしているより、歩いている方がなんか健康にいいし、罪悪感が湧きにくい。

考え事の内容は様々だ。
私は小説を書くのが趣味なので、そのネタやストーリーを考えていることが多い。
他には、noteやブログで何を書こうか考えてみたり、
自分の習慣や性格の改善方法を延々と練ってみたり、
推しのYoutuberについて延々と考えたり、
好きなアニメや映画について延々と考察してみたり。

「歩きながら季節の変化や景色を楽しみましょう」

景色は見ない。どうでもいい。関心がない。
私の歩くルートはとにかく歩きやすさ重視だ。
緑の多さも町並みの雰囲気も関係ない。

ただ分かりやすく真っ直ぐに舗装された道だけを求めている。
目的地が北東にあったら、まず北に行って、次に東に行く。
Googleマップの経路案内に邪魔されないことが第一なのだ。

元々、美しい景色や観光にあまり興味がない。
周りの皆が写真を撮っているから、いかに綺麗な写真を撮るかを考えて一緒に写真を撮っていた。
そんな私が、ネットで「散歩中は景色を楽しむ」とか見かけたところで、ピンと来ないのは当然だった。

節約だという大義名分の元、自分の世界に浸れる。最高ではないか。
それが私にとっての散歩だ。

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