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粒と星座

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「粒と星座」言葉と説明
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【いのち=応答しあっている現象】これからやってみようとおもっていることにむけて

わたしは、30回ほど転職していてね(いま55歳)、 もうほんと、そんなことはしたくない。 なにが、ダメで、どんなことが起きていて、 故にわたしは仕事から、その場から、去る事になっているんだろう。 それが言葉になればいくらか救われるかもしれないし ダメな自分…と責めることからいくらか距離がとれるかもしれないし この個体を自分一人で引き受けるには、わけわからなすぎ それがしんどい できれば自分の事情を聞き取ってやりたいし味方にもなってやりたい だって、社会の中で自分の収ま

【粒】(わたしは粒で考えるようになった)

【粒と星座】という言葉をわたしはどんなふうに使ってきたか、共有するために、まず説明からいってみよう! ひとつひとつ、雑談やエピソードを交えながら、のんびり行くよ! 道草の旅だね 🌱 ある日 スケッチブックを開いて図にしたのは 🗒 水素〈H〉と酸素〈O〉が接触して形を成すと、それは水という物質になるように あらゆるものは刺激の素としてなにかとくっつく可能性を備えている、よね あらゆるもの、くっつく可能性をもつものを「刺激の素」と呼んでみる。 実際にくっつくものを「受容体

【粒と星座】 成る運動

こんにちは😃 今回も寄り道しながらいってみよー 🌱 レッツゴー 🎈 「粒と星座」で考える、っていう考え方が、この10年のわたしを支えてくれていたんだけど これは、「見えないはたらき」に翻弄されているわたし、っていうことと密接に繋がっている考え方なんだろう、と思える。 なんでか、まごまごしてる なんでか、「物を使う」つもりで物に振り回されている なんでか、自分のことが後回しになっちゃう なんでか、刺激がないと自分の体が動かない なんでか、刺激が入ると意志に関係なく動いちゃ

【ざわり】 「粒」と「星座」の間

さあ 今回も行方と行き方はわからないけど始めてみよう! そっちはどっちだ ! 前回は、「粒」と「星座」の説明を試みた。 今回はその間、「ざわり」について さっそく寄り道だ。 木の枝って、幹からどんどん枝分かれしていくよね。 土の中の根っこもどんどん枝分かれしていく。 それが自然の当たり前なんだ、ひとの話も行き先も、行方は自然が知っている! 任せて気ままに話してみよう。 「ざわり」っていう言葉を使い始めたのは「粒と星座」と同じ頃、10年くらい前から。 感覚はずっとあったん

【ざわり】感触の痕跡のたまり場

↑絵というほどのものでもないけど、絵を描いているうちに今書きたかったこと、文章化したいと思っていたことがどっかに消えた。 自分の中に見えた星座があっという間に雲隠れするわたしです。 みなさんこんにちは。 さて、今回はどこにいくのでしょう。 そっちはどっちだ ! 前回は「粒」と「星座」の間、の説明を試みました。 続きいきましょう。 思い出せないから困っていて、それで、「わたしはどのように人の名前を思い出せているのだろう」と気になった。なんとなく… 感触を頼りにしてい

「粒」「星座」「ざわり」「つながり線」「有機的自律運動」「0ポイント」「集団の輪っか」 いったん整理してみたよ

こーん にーち はー ! 前回までを振り返ってみると、みんなが共有している既存の言葉じゃないから やっぱりわかりにくく見えちゃうかもな、っておもって 今回は、いったん、整理してみたヨ これらは、わたしがここ10年、自分に起きていることを自分と話すために使ってきた、わたしに伴走してきてくれた言葉です。 (「有機的自律運動」「0ポイント」「集団の輪っか」は、ここ1年でさらに展開がみられた言葉) ひとりよがりな言葉です。 主観を頼りにしたら現れてきたことばです。 他の人に

【有機的自律運動】 わたしの「記憶」の成り立ちからみえること

運動なんだな。 記憶って。 わたしにとっての記憶って。 勝手に動き出す運動。 つながりだす。 ひとつポチョンと池に石が入ってくれば波紋が広がるみたいな。 池に風が吹いたら水面がさざなみ立つような。 風が吹けば桶屋が儲かる的な。 バタフライエフェクト的な。 接触する→応答が起きる→展開が起きる→なにかと接触する→応答が起きる→展開が起きる……… 粒とつながり線の軌跡が記憶になっている。 だから、次になにかと接した時に「思い出し」が起きる。 つながり線が先へ先へと走り出す。

「有機的自律運動」の積み重なりが、現在地

やっほー ぴよーん ぴよーん 🌱 散歩中にみた、塀から伸びてる葉っぱの声をお届けしました。 前回は、「有機的自律運動」という言葉が登場しました。 有機的自律運動、この「はたらき」とともに「いのち」はある。 noteの最初の記事のタイトルにある【いのち=応答しあっている現象】は、有機的自律運動という視点に立ってみるとみえてきた仮説だ。 この世界にある生き物、もちろんわたしという個体も、この有機的自律運動のはたらきの渦中にある。 有機的自律運動ははたらきつづけている。 そ

【0ポイント】 応答が叶っている範囲

なんだかボケボケしている… 急に気温が上がったから、な気もする。 ボケボケしながらやれることをやろう。 自分の様子と話しながら。 こんなときはなんにもまとまんない。 どこにも行きつかない感じ。 考えるとか感じるとか すすむ とか ぜんぶが遠いことのような感じ 粒→ざわり→つながり線→星座 という有機的自律運動のはたらきが十分に発揮されていない感じ そのまえに、有機的自律運動が活性化している状態はどんなか、経験から思い起こしてみよう。 わたしは化学繊維の服を着ると、肌

0ポイントが叶うまで ウロウロしちゃう

前回、肌に触れるもの(例えば衣類)とわたしとの折り合いを「0ポイント」という言葉で表してみた。 わたしについて言えば 地球を満たしている気圧や気温といった、常に接しているものについても言える。 ・雨の前に体がしんどくなって頭が回らなくなる ・冬から春へ変化するとき体がしんどくなる ・前日との気温差が激しいと体がしんどくなる ・バスの中、電車の中、外と気温差が激しいところに入ると鼻水が出る などなど たぶん気圧とか気温とか湿度とかだと思われるこれら、 これらの変化が激しい時

あるのに「見えない」

わたしは30回ほど転職していて、そのことは、自分を貶めた。 「続ける力がない」「途中で投げだす」「中途半端」「ひとつのことを極められない」「責任感がない」など、いくらでも貶める言葉が追いかけてくる。 幼少期から「続けられない」の傾向はあって、そろばん塾や絵の教室は、自分から行きたいと言ったのに行けなくなった。 だが、そこにはわたしなりの事情があった。 なのに、うまく言語化できないから、ううう、となってわたしの背景に退いていく。 今おもうのは この、「ううう」こそが、大事

個人の0ポイント 集団の0ポイント

気温差が激しい〜。 こんなときは起きられない〜、 頭がボーっとする〜、 けれども自分と話すための言葉について引き続き説明を試みることはやりたいもんね 起きちゃうもんね。 うーうーおー! 想像してみる。 誰もが、自分と話すための言葉をもつ。 どんな言葉だろう。 それはきっと、懐中電灯みたいに、足元や自分の姿を照らしてくれる。 その懐中電灯で照らされて見えてきた現実(主観)を、お互いに交わしあえたなら、ワクワクするんじゃないかな。 照らしだされたらきっと、自ら輝き出すん

0ポイントが無視される時

前回、「集団の輪っか」と「個人の0ポイント」について説明を試みた。 集団によって個人の0ポイント範囲は変化するだろうし、個人の中で日内変動で0ポイントは変わるだろう。 例えばわたしであれば 気温差に対して、0ポイントに折り合いつきにくいと感じている。 気温と折り合いがつくまで体がバタバタしている感じがある。朝寒かったと思ったら昼には気温が急に上がった日など。 そういう時の自分を思い起こしてみると、 落ち着きたくて、例えばコーヒーを淹れたり、机の上を整理してみたり、目線が

0ポイント発見の糸口は?

前回は、「集団の輪っか」と「個人の0ポイント」との兼ね合いについて、わたしの事例を交えて説明してみた。 前回の最後に「じゃ、0ポイントを発見できるのはどんな時?」という問いが出てきた。 そのまえに、0ポイントは、どんな状態にある時に意識できるといいんだろう。 集団の輪っかとそれほどズレがない状態にある人にとっては、あんまり重要じゃないかもしれないね。 集団の輪っかも自分の0ポイントも意識にものぼってこない。 それで日常は十分回っている状況。 それよりも、こんな状態にあ