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【仕事編・コピーライター③ 組織のトップの0ポイント】 0ポイントと出会う旅

今日も木漏れ日がピカッとユラユラ綺麗です。
ガラスの透明なコップが冷たい水で水滴に半透明になっている。
その中にも光が回りこんでボヤッと綺麗。


前回は、
初めて出会うような人たちの、初めてな雰囲気の会社の様子を少し書いた。

社長と副社長が一緒に始めたというそのデザイン事務所は、その2人の、「自分に忠実に在ろう」としている形の上に成っていた。

仕事を適度にやる、というようなことじゃない。
私生活と仕事が分かれていないくらい常に仕事な感じだった。

だけど、そんな中でも、
例えば、事務所の前の河原で社長がゴルフのパット練習している。
2階のデザインチームは作業に忙殺されている。
「あ、ゴルフなんかしちゃって」と、わたしは思うのだが、わたしの他は誰も、頓着しない。
心の中では呆れているのかもしれないし、嫌味の一つも言ってるのかもしれないし(社長は全然怖くない人なので、誰からも軽口を叩かれているのが日常)、わからない。
だけど、各人がなにを思おうと、それでもゴルフのパット練習をみんなが仕事している窓からよく見えるところでたんたんとやっているっていう様子は、お互いの信頼感が感じられることだった。
社長のことを責めもしないし、他のメンバーに軽口叩かれたって社長にとってはどうってことない。よく、わかっている範囲なのだろう。
そんなことより、きっと、社長は社長で、考えたいことがあって、もしくは考えをリセットしたくて、ゴルフのパットを練習するという行為に没頭しているのかもしれない。
いや、ほんとうに、なにも考えてないかもしれない。
いや、あれは、社長の「自分との時間」のやり方だった気がする。


コピーライターである副社長は、口数が少なく、一緒の部屋に2人だけで居ると、静かすぎて起きているのか寝ているのかわからないくらいだった。
パタ、っとスリッパの音がすると、コーヒーを淹れにいってたりする。
壁一面の本は副社長のもので、「好きに読んでいいよ」「することをしていれば時間はどんなふうに使っても構わない」と言われていて、たぶん、副社長自身もそのようにこの事務所にいる間は過ごしているんだろうな、と思われた。
なにを考えているか、まったく、わたしにはわからない。読めない。そして、読まなくていい。機嫌を取らなくていい。そんな感じに思えて、わたしはありがたかった。
なにを根拠に副社長はわたしをそこまで信用してくれるのだろう。
たぶん、わたしを信用している、とかじゃなくて、肝心なのはそこじゃない。
そんなこと(常にコピーを考えている、他の人の機嫌を取る、とか)でコピーができるわけじゃないから、という了解が副社長にはあったような気がする。


「粒と星座」の言葉を使って言えば、社長も副社長も、自分の0ポイントをないがしろにしていない、ように見えた。
そこが見過ごされれば、途端に、ダメになる。
それは個人を尊重するってことに止まらない。即ちいい仕事ができるかどうかに直結するんだろうと思う。

それは、最初に事務所のお客さま用のコーヒーカップを買いに行くお使いの一件でも伝わってきた。

間違いでも正解でもなく、「ああ、あなたはこういう選び方をするのね」という了解のような、「あなたのその感じ、わたしは受け入れられる範囲です」と言われているような。

わたしはここで、「わたしで居ること」を、求められるのだ、と思った。

「粒と星座」の言葉で言えば、わたしの粒となりつながり線となりのはたらきを、どうぞ、存分に、と思われている。
これからやっていく仕事が、そういうことの先にあるんですよ、と、言われた気がした。

伝わってくるのだ。
その人の「構え」というようなものが。
その人の構えの前で、わたしという個人もまた、0ポイントであることを了解される。

前回書いた下記のようなことも

おつかいや資料集めをしているあいだ、会社の様子に慣れていく、そのうちにわたしはコピーを書く仕事をふられるようになってきた。
コピーライターである副社長は、度胸のある人だ。
もしくは、チャレンジャーだ。
いや、どういうつもりだろう。
口数が少なすぎてなにを考えているかまったくわからなかったけど、未経験の、文章が書けるわけでもないわたしを採用したくらいだから、なんというか、いや、ほんとう、どういうつもりなんだろう? 笑

「やってみて」と、渡された案件は、
「はい」と、やってみることになった。
そのコピーが使い物になるかどうかは、もちろん副社長があとで判断する。

広告年鑑は、壁一面の書棚に並んでいて、隙間の時間に目を通していた。
でも、それだからってコピーなんて書けるものじゃないでしょう?と思えるけど、じゃ、専門の学校とかで訓練してコピーライターになれるのか?というと、そういうものでもないかもしれない、という気もしていた。

どうなの。
わたしってそこそこ、図々しいんじゃない?

わたしにできなくなくない?って、根拠もなく、思っていた。

いいよね。
図々しいって。

とにかく、やる、んだから。
すがすがしくさえある。



ただ、自分という個体がそういう状態にあれるっていうのは、それなりの根拠があるような気もしている。
チャレンジできる前提といえるような。

チャレンジしようと思えている。
そういう現場っていうのは、どういう前提があるのだろう。
そこにも社長と副社長の「構え」みたいなものは反映されてくるように思う。

例えば、
映像制作会社から出向して担当した、地方局の朝の報道番組のタイムキーパー、あの時と、なにがどう違うだろうか。

そんなことを念頭に、引き続き記述を試みていこうかと思う。
どうだろう。



※ここまでに出てきた言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。

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