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【仕事編・魚屋さん② 人の親切が苦しい】 0ポイントと出会う旅

魚屋さん。
古いスーパーマーケットの中の魚屋さん。
隣は花屋さん。
向こうは服屋さん。
他に何があったか忘れてしまったが、長年共に場を共有してきた、ご近所さんのような関係性があった。

隣の花屋さんの旦那さんはいつもタバコをくわえていた。
大きな束の花を抱えて運んでいた。花、燃えないのかな、と思った。
おかみさんは大衆演劇が好きでお気に入り(今でいう‘推し’かな)がいて、おせっかいで、いつも笑っていて、よく喋っていて。
〇〇ちゃん、〇〇ちゃん、とよく話しかけてくれた。
お菓子とか物とか、あれはパチンコでとったんだな、ある時は高級時計をくれたりした。
まったくわたしに似合わなかった。

服屋のご主人には、わたしのアパートがある町が帰り道だということで車に乗せて送ってくれることがあった。

実は、それが嫌でしょうがなかった。
人の好意ほど苦しいものはない。
おまけにその人の持つわたしに対するイメージが、苦しい。

幼い頃からそうだったかも。
人からの見られ方に苦痛を感じる。
誰も、わたしのことはわからないのに、わかっているかのように見てくる、それが本当に嫌だった。

子どもだったからか大人に対して「違う」という言い方を思いつかなくて、説得できない気がして、無力感に苛まれた。
この時の気持ちの動き、つながり線の軌跡が、ぶり返していた。

田舎に母親を一人残して演劇をしに上京してきた子。
お金のために珍しいね若い子が魚屋なんかやってる。
困ってるだろう。

という視線。

雇ってくれた魚屋の社長がそういう目線でそのように吹聴するから、それが他の人に写っていく。
他の人の中で、その人の中の、「困っている子」のイメージでわたしが固定される。

わたしはそういう固定される感じも、苦しい。
その人の見ている像の通りに、わたしの星座が寄っていくから。


長い間、「自分がない」という気持ちに苛まれていた。
言い換えれば「他者のイメージするわたし」に星座が寄っていってしまうということだった。

自分以外は、そのように苦しんでいる人は見当たらなかった。
わがままと言われても、カッコいいと思われても、やさしいと言われても、他の人は平気そうだった。
まるで、「自分」と「他者」が、別個のようだった。
わたしは、わたしの中に、他者が流れ込んでくる。
わたしの中は他者でいっぱいになる。


あの、苦しい感じが迫ってきていた。


ある日、わたしは自分をそこから消した。
演劇の公演で休みをもらった後、バックれたのだ。
連絡をせず、出勤しなかった。二度と。

親切だったのである。
魚屋の社長も、義理の弟も、花屋さんも、服屋さんも、みな、親切だったのである。
わたしは人の好意を断ることができない人間だった。
その人がそのように見ている、だからそのような行為になる、気持ちになる、そのことを拒絶する方法を知らなかった。

親切を受け取り続けているうちに、わたしは、その人たちに奉仕しているような気持ちになってくる。
その人が見ているわたしを尊重することを努力している。
断れば傷つきそうだと思い、家に呼ばれて食事をいただく。
嫌われたと思って傷つかないように、送ってくれるという車に乗る。
黙っていては息苦しいから会話を交わす。
お金に困っているだろうからものをくれるという、嬉しいでしょ、と思われる、だからありがとうといって受け取る。

しかし、そのどれもが、わたしの苦手なことだった。
運転席の隣に座ること。
人の家庭に入っていくこと。
人の家で人の作ったご飯を食べること。
自分がほしいと思わないものをもらうこと。
そして、人の思うわたし像に応えること。

わたしにとっては「混じる」のがしんどかったのかもしれない。

席が近すぎるとその人の空気や目に見えないけどある何かが自分と混ざってしまう。
人の家は自分とは違うものがてんこ盛り。空気や質感やなにもかも。
人の家でご飯を食べるとそれらも一緒に口から採り入れられることになる。お店とは違って、生活が食べ物と一緒に混じってくるのだ。
いくらお金がなくて物が買えなくても、自分にしっくりくる物でなければ、わたしにとっては気が重いものになる。それに自分を合わせなくちゃいけなくなるから。
そして、その人のわたし像は、わたしを乗っ取る。
わたし自身もわたしのことがわかっていないが、そのうえ、わたしを見る見方が固定していれば、それがどんどんわたしの中に入ってきて、まるでその人の思考を尊重しているような気分になってくる。


バックれて、数ヶ月経って実家にいるところ電話が入った。
みんな心配しているよ、と。
なにがあったの、と。

答えられない。
みんなの親切がしんどかった、なんて、言えなかった。
いっそ、恨んで忘れてほしかった。
もう、受け止められません。
もう、無理です。
その理由を、わかってくれるようにわたしは説明できない。
到底わかられない、という無力感が襲ってくるから、忘れたかったし、忘れてほしかった。

一人一人を嫌いなわけじゃないのに。
なんで、拒否したくなるんだろう。
わたしは不義理な自分に困っていた。


※ここまでに出てくる言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。

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