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掬い上げられた記憶『いつか記憶からこぼれおちるとしても』(江國香織)

物語の端々にひっそり佇む、あの頃の日常。
17歳の女子高校生が書いた日記を読んでいるかのような。
江國さんは好きな年齢にいつでも戻れる術を持っているのだろうか。それとも記憶力が私より遥かに遥かに優れているのかもしれない。

父親といる妙な居心地の悪さや、母親からの誘いにはしゃいでみせる気の遣い方。
傘がなくなるだけで大事件になる教室。
今とは全く異なるものの見方をしていた。大切に思うもの、優先するもの、後回しにするもの、全て違う。17歳と社会人ではこうも違う。それを鮮明に描く連作。

読んでいる間中、教室の中にいた。
あの頃の、みんな同じ服を着て、ぎゅうぎゅうに女子高生だけが詰まっていた、あの部屋の中に。
小さい木の机の上で、この本を一気に読み切った。本を閉じてからも現実との繋がりがぼやっとして、暫く戻ってくるのに時間を要した。

授業中にまわす折りたたまれた手紙は今も存在するんだろうか。対象者が自分ではなく、座席の並び上何回も何回も郵便屋の役割がまわってくると、少し迷惑に感じたものだ。

ひとり、選択授業の時に私の席に座る他クラスの友人が、いつも机の上にシャープペン直書きで手紙を書いていた。あれは手紙というより、机中に広がる新聞のようだった。イラスト付きで、文章もみっちりで、授業時間めいっぱい使って毎回びっちりと書かれている。選択が終わって自席に戻り、初めてそれに出会した時は仰天した。一体何やってるんだ、こいつ。でも私は毎回中身の変わる大規模な手紙に夢中になり、最後はこっちからリクエストして書いてもらっていた。光の反射を駆使しないと読めないし、読んだ後消さないといけないからめちゃくちゃ面倒だったけれど、それでもその時間丸ごと愛していた。

今はスマホがあるから授業中にLINEしたりするのかもしれない。でも、あの小さなメモ、友達に書くためだけに買ったりした可愛い紙。まだ残っていたらいいと願ってしまう。

あの頃どうしてあんなにポッキーを食べていたんだろう。今やほとんど食べなくなった。カラオケでたまに頼むとついてくる程度のお菓子。あの頃は主食だった。鞄に常にあの箱が入っていたし、新作が出ればすぐに試した。
そんなささやかな記憶さえ蘇る。
私の中の落ち切っていた記憶の砂が、逆方向に吸い上げられるようだ。

大人から見ればなんてことのない行動に大きな意味を見出そうとする。
広い世界なんていらないと拒絶する。目の前のものだけに必死になれる。
自分だけの価値観を書き綴ったノート。誰にも見せることなく、いつの間にか捨てられていった何冊ものノート。

過ごした時間は思い出せないだけで忘れたわけじゃない、と何かで読んだ。
きっかけさえあれば記憶は全て引き出しから取り出せるんだと。
この本は17歳の時間が閉じ込められている箱を一瞬でこじ開ける。そのために存在している。

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