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ポテトチップスの誘惑。

人生を共に歩んできたと言っても過言ではないお菓子がある。
それはポテトチップス。
私の身体についている肉や脂肪の大部分は、ポテトチップスでつくられている。そう断言できるほどに、長い長い年月をいっしょに過ごしてきた。

初めて口にしたのがカルビーのうすしおだったか、チップスターだったかは定かではないけれど、気づいた時にはスーパーで真っ先にねだるお菓子として上位を独走していた。
日曜日の昼下がりに、塾の帰り道に、ドライブの時に、あのガサガサ音を立てる袋が傍にないと落ち着かない。
一度山登りに持って行ったら、頂上で袋がパンパンに膨らんでしまってぎょっとなった。人生で初めて、気圧の低さを目の当たりにした瞬間。

そもそもポテトという存在が好きで、フライドポテトもハッシュポテトも毎食出されても良いくらい愛してきた。
一度ハッシュポテトを好きなだけ頬張ってみたいと願ってやまなかった、けれど、今は一個で胸焼けしてしまう。老いが辛い。
そういえばいつか夫が「俺これそんなに好きじゃないからあげるよ」と私の方に差し出してきて、2個一気にお腹へおさめたこともあった。その後仕事中ずっと私は胸の油と闘い続け、ひたすら烏龍茶を流し込んでいた。もう二度と1個以上は食べるまい。

そう思っていたのに、今度は懲りずにバケツポテトなるものに手を出した。Lポテト2.5個分くらいありそうな、文字通りバケツっぽい紙の器にこれでもかと盛られたフライドポテト。同い年の同僚と食べたそれは、最初こそ美味かったが後半はやっぱり脂と自分との闘いになった。そりゃそうだ。もういい年なんだもの。

だけどポテトチップスには限界がない。
油との闘いも起こらない。
いついつまでも、つまんでいられる。
味も色々あるし、袋の大きさも色々あるし、今日はどれにしようかな?という選ぶ楽しさを毎回棚の前で味わえる。
昔からあるポテトチップスは、物価高の影響をもろにくらって、日に日に量が少なくなっているのがさみしい。
かと言ってBIGサイズは買いづらい。買ったら最後、食べ切ってしまいそうでこわい。

私のDNAを色濃く受け継いだ子供たちは、私が袋をバリバリっと開ける音を聞きつけるとリビングに飛んでくる。耳ざとい。ちょっとちょーだい、と袋に手を突っ込む。時には夫もそれに参加する。なんだ、結局みんな好きなんじゃん、ポテトチップス。

今よく買うのはフレンチサラダ味と、ハワイのフラのイラストがついてるやつ。
フラのポテトチップスは家族もみんな美味しさに虜で、普段買うのより高いからたまにしか買わないのだけど、私が袋を手にするとみんないそいそ近寄ってくる。
だけどフレンチサラダはなぜか不人気で、私以外誰も食べない。だから、もし私が夜神月ばりのトリックを使う時は、フレンチサラダ味のポテトチップスにしようと決めている。

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