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自分の根元と向き合う予感『はーばーらいと(吉本ばなな)』

時間をかけてでも読むつもりで開いた、けれど、予想に反して90分であとがきまで辿り着いた。
本を閉じた後、しばらく宙を見つめてぼうっとしていた。

落ち着いて読もうとしても、手が、目が、脳が、止まってくれない。
全身で頁を捲り続けるような本がある。これは、まさにそんな本。

まるで映画の始まりのような本の構成にも、してやられた。
これをばななさんが考えたのか、他のどなたかが考えたのかは知らないけれど、完璧な幕開けだった。

人を救う、と書くと、どうしてもヒーローの姿が過ぎる。
次いで、命を救うための職に就いている人たちが浮かぶ。

そこまで大きな救いではなくても。
日々の生活の中で救う、救われる出来事は常に起きているはずだ。
そのために必要なのは、救われる人のそばに「きちんと日常を自立して生きる」ひとが存在することだと思う。

大それた存在である必要はなくて。
ただ、その人なりの生活を日々送る。
自分の足で立っている人。
寄りかかるには、そんな人でないと難しい。
バランスの悪い人にもたれかかっても、共倒れだ。
目立たなくとも、自立したひと。
ひばりにとってのつばさは、そんな存在だったのだろう。
早くに父親の死を体験し、母親の力が大きいとはいえ、そこから家族ごと立て直してきちんと毎日を生きている存在。
悲しみに暮れて人生を諦めるのではなく、それぞれがそれぞれなりに事実を受け止め消化して生きている。

この本を読み終えたとき、ひばりやつばさほどではなくても、自分にも幼い頃から抱え続ける何かがあると思い当たった。
それがなんなのか、まだ言語化できないけれど。
一般的な家庭から、ほんの少しだけずれていた部分が私にもある。
「ふつう」の家の定義はわからないけれど、我が家の事象が割合的に多いかといえば決してそうではないと思っている。
そんな自分が持ち続けていた、なんとなく暗くて真っ直ぐ見つめにくい部分に、今年は向き合っていくような予感がした。

暗い過去があってこその今だよね、という綺麗事では決してない。
全ての過去に意味があったとも言い切れない。
でも、これまで過ごしてきた人生は、1秒たりとて無かったことにはできない。確かに過ごしてきたのだから。
もう一度見つめて、手で抱えて、ああこういうことだったんだな、と思う時期が来たのかもしれない。
ひばりが、取り戻そうとして、諦めて、そこから飛び立っていくように。
もしかしたら、それこそが自立なのかもしれない。

そう感じさせる1冊だった。
重く苦しい問題を、なんと魅力的に書かれるのだろう。吉本ばななさんの作品は久しぶりに読んだけれど、この90分間は映画のようで、短い旅を終えたような満足感が溢れていた。

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