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枯れ山、熟るあけび



「お兄さん、私に飼われませんか?」
相生山女(あいおい あけび)と名乗る少女。蒸し暑い夏の日、真夜中の川辺で出会ったのは新しい雇い主だった。


 彼女の家に転がり込んで半年、私は使用人として働いていた。

「家が、ふっ、広すぎる」

仕事には慣れてきたが、縁側の長い廊下に庭の手入れ、玄関や居間の掃除だけで朝が終わってしまう。初日に比べれば倍以上の速度で仕事をしていても、家中の掃除だけで日が暮れてしまう事もあり、ここに自分と彼女しか住んでいない事を考えれば無駄以外の何物でもないと考えてしまう。

「雑巾がけなんて、小学校を卒業して以来だ」

腕で額の汗を拭い、時計を見ると午前十一時を回っていた。

 居間を通り過ぎて台所に向う。冷蔵庫を開け、引き戸の中段に卵が五個ポケットに収まっていて、それを三個取り出してボウルに割り入れる。
 彼女の食事は味を楽しむのが目的で、量は必要としていないのだ。
割った卵を小気味よく混ぜ、空気を入れる。そこに昆布で取った出汁、醤油を一周する。そしてさらに混ぜていく。全体が優しい黄色になったら、長方形のフライパンに火を点け、油を引く。

キッチンペーパーを小さく折り、油を全体に馴染ませながら温める。
箸の先に卵液を少しだ付け、フライパンに線を引く。
線がそのまま道になるようなら準備が出来ている証拠だ。
ボウルから卵液を少量流しいれ、全体に満遍なくいきわたる様に手を傾け火を通していく。ふつふつ音を立てて表面から小さい気泡が出てきたら端から巻いていく。
また卵液を注ぎ、巻いていく。火を通し過ぎないように何度か繰り返すと、口に入れればふわふわで、出汁が染み出る出汁巻きの出来上がりだ。

 満足気に頷いていると、小鳥の様な足音が二階から近づいてくる。
居間に顔だけ出すと、紺色のブレザー姿にチェックのスカート姿の相生山女が眠たそうに椅子に座ろうとしていた。学校指定の制服だが、彼女が学校へ行っている様子はない。

「おはようございます。山女」

返事の代わりに頷いているが、半分はまだ夢の中にいるようで顔を上下に何度も揺らしている。
長いまつ毛に透き通る白い肌。絹のような髪の毛は思わず手に取りたくなる。
あけびがクラスメイトだったら、きっと席替えひとつで浮足立つ男子の多い事だろう。
皿にレタスをちぎりながら、もう一度声を掛ける。

「洗面所にタオル置いてます、顔洗ってきたらどうですか?」

返事はなかったが、遠くで水の流れる音がしたので聞こえたみたいだ。
戸棚の奥からスイートコーンの缶詰を取り出して、蓋を開ける。
それを網目のあるボウルに取り出して、軽く熱湯で注ぐ。
缶詰は苦手、鉄臭くて。
それ以来缶詰の食品は避けてきたが、戸棚の肥やしにしておくには勿体ない。
熱湯処理すれば臭みも和らぐだろう。

「さて、仕上げだ」

レタスの上にスライスした玉ねぎ、湯切りしたコーンと生ハムを散らす。これでサラダは完成。だし巻きをお皿にもって、四等分に切り分ける。
料理の盛られた皿を運ぶ。居間に行くと眠気は洗い流したようで、ばっちりと目が合った。

「いい匂いですね」
「いつもと同じだし巻きですよ」
「そうね。でも私は好きですよ、貴方のだし巻き玉子」
「ありがとうございます。ドレッシングはゴマでいいですか?」
「えぇ、お願い」

再び台所へ行き、ゴマドレッシングとコップ、お茶の入ったヤカンを持って居間に戻る。この家はなにかと古くさい物が多い気がする。

「「いただきます」」

お茶をコップに注ぎ、ドレッシングは全体に少量だけ掛ける。
 この家での食事のルールは、いくつかある。一つは同じものを食べる事、二つは彼女が最初に食べる分を取り残りは私が食べる。
特に一つ目は意識しないとすぐに破ってしまう。間食や飲料水なども含む為、自分だけ別のものを食べようものなら、即アウトだ。
ルールの意味が分かっておらず、デザートがまずくなる。なんて彼女によく注意されたのも懐かしい話だ。

「缶詰の食品ですか?」

コレ。とスイートコーンを箸でつまんで見せる。

「そうです。熱湯にくぐらせたので、あんまり匂わないと思います」

淀みなく答えるが、不安で彼女が口に運ぶのをまじまじと見てしまう。
小さな口に少しだけサラダを運ぶと、丁寧に咀嚼してから飲み込む。少しだけ間を置いて、彼女が口を開く。

「悪くないです」
「それは…良かったです」

彼女の評価は四つに分かれていて、「悪くない」は下から二つ目だ。
一番の評価を貰った事は、料理では一度もない。
不安が取り除かれた所で自分の分も取り分けて食べる。
だし巻きは上手に出来ている。学生時代のアルバイトが生きる事になるとは人生は分からないものだ。一通りレパートリーを披露した後、彼女が気に入った料理は少ない。薄い味が好みで、刺激が強いスパイスが入る料理は苦手なので、和の料理とサラダが食卓に並ぶことが多い。そんな日が一か月続いた後に、洋食屋をうっかり通り過ぎると、匂いだけで発狂してしまう。
箸を置く音がして、彼女が先に食べ終えた事に気付く。

「ん…なんですか?」

顔を上げると見つめられていたらしく視線が交わった。

「美味しそうだな、と思ってね」
「…おかわり作りましょうか」

断られると分かっていながらも、念のために質問する。

「いいえ、食事はもう充分です。ありがとう」
「そうですか。食器は下げますので、置いといて下さい」

遠回しに退席の意を述べると、山女は目だけ笑ってそれに応える。
これも断られる事は分かっているが、コミュニケーションは大事だ。
鎖骨に小さな穴が空きそうになった頃に、食事が終わる。

「「ごちそうさまでした」」

元々彼女に合わせて作った為、すぐに食事は終わった。皿を下げて机を拭く。
 台所で洗い物をしていると、真後ろから声を掛けられる。

「それが終わったら、デザートの用意をお願いしますね」

耳元で囁かれ、驚きから体を震わせ皿を滑らせ鼓動が早打つ。間一髪で握りなおし、振り向かないまま彼女に頼む。

「あけび。何度もお願いしていますが、普通に話しかけて下さい」

お願いは虚しくも無視され、代わりにイタズラに成功した子供の笑みを零していく。
洗った皿を乾いた布巾の上に並べて手を洗い、その足で浴室に向かう。
この屋敷に空調設備はなく、夏の終わりとはいえ汗を沢山かく。このままでは冬の到来が心配になるのだが、設置されるかは私の働きにかかっているらしい。
汗を吸ったシャツをを脱ぎ、目指せエアコン、現代文明万歳と心の中で両手を上げる。

浴室へ入ると、シャワーから水を流し適温になったことを確認する。頭の上から水を浴び続けながら、石鹸やボディソープは付けずに体の汚れを落とす。五分も満たない、カラスの行水だが今は十分だろう。一度頭を振って水気を払う。

浴室を出て、棚からバスタオルを取り出す。体の水分を拭き上げ、新しい衣服に袖を通す。髪は乾かさず、二階の一室を目指す。
あまり待たせると不機嫌になってしまうからだ。
階段を踏みしめて登り、突き当りまで進む。

 木彫りのネームプレートが掛かった部屋を二度ノックして返事を待った。

「入って下さい」

ドアノブを捻ると、部屋の中は薄暗かったが、相生山女がベットに腰かけているのが見えた。

「早かったですね」
「待たせると悪いと思いまして」

殊勝なんですね。と微笑みながら右の手の平を自分の足元に向ける。
その意図を汲んで、目の前まで歩いて行き、用意してあったクッションの上に正座する。自然と顔の位置が彼女の腰と同じ位置にくる。
少しだけ開いたカーテンから光が差し込み、黒いタイツを艶めかしく映し出す。
低い空気の抜ける音が耳に入る。目の前から聞こえるソレは、落ち着く為ではなく、耐える意味合いが強いのだろう。繰り返させる空気は肺に入る度に、深く熱くなっているように感じる。

「私と同じ食事以外、口にしていませんか…?」
「はい、大丈夫ですよ」
「約束、守ってくれているんですね。嬉しいです」
「…仕事ですから」
「そうでしたね、我が家で働くルールですものね」

確認が済むと、深く吸い込む事をやめた息が近くなったようで、釣られて息が早くなる。
するりと彼女の足が腕の内側を通り、背中に回ったのが分かった。
背中の真ん中で組んだ両足で鋏を作る。そして強く体を引き寄せられ、正座した状態で顔だけベッドに埋もれる。首を垂れて視界がふさがれた状態。
少し高い体温の太ももに顔を挟まれ。息が苦しい。
一回り近く年の離れた彼女に言いなりになる。異様な光景に精神は高揚し、またそれに慣らされ肉体に耐えがたい興奮が襲い掛かる。

「我慢してくださいね、いい子ですから」

両肩に手を添えられて、耳の横を熱い空気がすり抜ける。
密着した肌から異性の匂いが直接体に注ぎ込まれ、脳が回らなくなる。
熱を帯びて、限界だと脳が叫ぶ。

「いただきます…っ」

柔らかな唇が首元に振れ、口内の温度が伝わる。
熱い。そう感じているだけなのか、雰囲気がそうさせるのか。もはやそれを理解する機能は停止している事だけはハッキリしている。
何度か舌で筋張った首筋を舐められ、少し間が空いて激しい痛みが走る。

「グッ…!」

思わず声が漏れた。痛みは一瞬だけで、身体はすぐに茹だる様にジワリと汗を押し出していく。代わりに高揚を直接注がれ、快楽によって制御を奪わる。
半開きになった口から涎を止められず、注がれ続ける限りそれに縋り、取り上げないでと心の中で懇願する。
意識が遠のく寸前、体が急激に冷えた。血管に直接氷の針を通されている。それが心臓から末端まで届くのは一瞬で、指先まで凍りそうになり、そこでやっと彼女が口を離したようで、私の頭を優しく撫でる。

「ご苦労様。今日も大変美味しかったですよ、お兄さん」

最上の評価と共に彼女は労う。
首だけぐるりと彼女の太ももの間で捻る。うつろな目で彼女を見据える。
大きく吸い込まれそうな大きな瞳。透き通る白い肌、暗闇でなお黒く輝く髪。

私は、相生山女に飼われている。

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