声を上げることすら知らない「ケアラー」問題<前編>

「ニッチな需要の郷土史に戻ります」って言ったのに、またしても社会問題かい、と思われそうですが、ごめんなさい、気になったらどうしてもそっちに思考が集中するのです…。

で、今日のタイトルです。
知ってる人は知ってますが、うちは同居介護世帯です。
最初は母の再婚相手(要介護3から最終的に胃ろうありの要介護5)を母と2人がかりで7年ほど見てきましたが(胃ろうの介助などは医療責任などもあるため私はほぼ家事担当&力仕事必要時の担当)、母も3年前についにダウンして要介護者(脳出血で当初要介護4。現在は要介護2)となり、以来、母は自宅で、再婚相手の方は老健施設で、となりました。以降、ほぼワンオペ介護です。

まあ母は私のように手抜きするいい加減な性格してないので、最初に介護手伝いし始めた時から「これはおそらくお母さんの介護の予行演習になっちゃうんだろうな…」という予感はありまして。
母が倒れた時は「ついに来たか」という感じではありました。とはいえショックで私も1年以上、ろくな文章書けない位まで引きずりましたが(気持ちの整理をしようとしても全くペンが進まないし、キーボード叩こうとしても指が動かなかった)

という自分語りはさておき。
とある動画観たり新市長の公約88か条を見てて思ったのが
「介護や支援について触れてる割に、家で要介護者や支援必要な家族を毎日世話するケアラーの心配、あんまりされてなくない…?」というもの。

日常的にサポート必要な人(乳幼児・障害者・要介護者などなど)のお世話経験が少ないor経験がない第三者は、
「とにかくケアされる側がどう感じるか」の方を注視しがちになります。
(まあそれはケアラー側から発してないから、というのもあるがそれはあとで書く)

ケアされる側とケアする側(ケアラー)は毎日、二人三脚しながら歩を進めてるようなもの。
それも二人三脚と言いながらも、実際はケアラーの足でなんとか踏ん張って両方とも倒れないようにしている。
ケアされる側はあっちこっち別方向を見て動こうとしなかったり、ケアラーに意図的に寄りかかったりする。ひどい場合は暴力振るわれる。そうされながらもケアラーは互いに倒れまいと必死。前へ1ミリでも進めれば御の字。

それを24時間ずっと見てるわけでもないとこから
「ケアされる側がんばれ〜」「ケアラーはもっとしっかりしないとケアされる側が可哀想でしょ」「ケアラーの都合だけで判断しないで」

って言われてみるのを想像してみてください。
おそらくこの辺はワンオペ育児してたら「子供かわいそう」的なセリフを食らった経験のある人が、1番理解出来ると思います。

ただでさえ日常的に気力体力限界のところに「もっとケアされる側を考えてあげて」とか通り魔のようにパンチを打たれる。
「頑張っても他人にここまで言われるくらいならもう二人三脚したくない。かといってここで他人にぶん投げたら世間にもっと自分が悪者みたいに思われる。もういい、もう全部終わらせたい」
って介護関連の家庭内事件に至るケアラーの気持ちは、こういう所から生じるんじゃないでしょうか。

あ、もちろんソーシャルワーカーその他の皆さんは「わかりやすい弱者」の方を支えたらいいんですよ?国がそういう福祉制度の設計してる以上、現状は仕方ないですから。

ですが私は自分の経験と立場から「自分の責任でもないのに毎日毎日家族の支援をせざるを得なくなったケアラー」の気持ちの方を重視します。
だって公的に味方がいないのだから
(その辺は国の落ち度だと思ってます。被後見人の通帳管理程度しかやらない成年後見人制度の大穴含め。なんで健常者のケアラーを更に要介護と要支援者へと導き増やす方向に設計するんでしょう)

よもや令和の世に、いまだに「赤ちゃんかわいそう、お母さんは赤ちゃんのためなら健康損ねるくらいがんばれ」なんて言い方を良しとする人いないと思いますが、
この対象が乳幼児じゃなくて家族の介護などになると、令和の世でもいまだに
「家族なら倒れるまで世話して当然」
「世話するなら慈悲深い菩薩か仏の心で傾聴して取り組むべし」
的な、実に無責任なクソバイスを「良かれと思って」で撒き散らすタイプの人が多い。
家族が要介護者になった瞬間から、ケアラーの感情や疲労が消えて聖人になるとでも思ってるんでしょうか。

「世話する方が日々、どんな感情で接してるかなんて、どうでもいいよ」と宣言してるようなもの。
そんなクソバイスを撒く暇があるなら、批評はいいから黙って30分なり1時間なり、代わりに掃除・洗濯の家事手伝った方がいい。
その間にケアラーは仮眠取った方が、よっぽど家庭内平和。
通り魔に批判のパンチ喰らったケアラーが、その直後から心の余裕を持って家族のお世話出来ると、本当に思ってるんでしょうか。

ケアする側とケアされる側。
どっちの権利が上とかじゃなく、どっちの人権も感情も、一緒に暮らしていく上で大事なはずなんだけどなぁ…。

とはいえ、ケアラーの側は基本的に家族の世話を選択するくらいなので善人で気が弱い人が多い(全部がそうとは言わない。私自身がその例外)、だから「こんな事を他人に言うと自分のわがままじゃないかって思われそう」と、辛くても飲み込んでしまう事が多い。そして精神を病んでしまうか、ストレスがまともに身体に表れて次は自分が要介護者となってしまう。
最初から最後まで声を上げる機会すらなく(だって外に出る余裕あったら睡眠取りたいですし)世間はそういうケアラーたちの実情を知らない。

不幸中の幸いというべきか、うちは母自身が「ミイラ取りがミイラになった」ので私は当初から「絶対頑張らない」「疲れたと思ったら寝る」「同じ部屋では絶対に寝ない(ひたすら依存される)」「歩けるうちは何がなんでも本人が歩くように誘導する(これは早々に歩行を諦めた義父の介護経験から)」などなどしつっこく言い続けてます。

でも実生活でそういうケアラーになってないラッキーな人は、「要支援者のお気持ち代弁者」の実にキレイな意見【だけ】を鵜呑みにしがちだったりする。
わかりやすいもんね。

が、私は「基本的に善人じゃない」ので(気は弱いと思うけど)、今後ケアラー側に回る人への啓発活動と思ってガンガン本音で自分ちの介護について言うし、トラブル系統も「こういうのが起きるよ」という投げかけもしていこうと思います。

とはいえ社会への恨み言ばかりで終わるのは嫌なので、明日の後編では「こういう仕組みづくり出来ないもんかな」について書きます。



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