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小説「春枕」第三章〜夕されば蛍よりけに燃ゆれども(2)〜

(つづき)

「蛍が光を発するのはね、求愛行動らしいんです。

 でも、わたしはどんなに彼を想って胸の炎を燃やしても、結局届かなかった。

 好きだったのは、わたしだけだったみたい。彼への想いがあまりに強すぎて、空回りして…彼の目は他の人を追いかけていた。すれ違った結果、わたしたちは深く傷付け合ってしまった。

 わたしはきっと、その彼を忘れることはできないでしょう。

 まるで自らの命を燃やすようにして、懸命に恋をする蛍。わたしも蛍のように命懸けで思い焦がれた、忘れられない人なのよ。」

「…若菜さん、一緒懸命恋をしたんですね。なんだか切ない…泣けてきちゃいますね。」

そう言って目頭を押さえる春花さんに、わたしは続ける。


「たくさん泣き過ぎて、わたしはもう、涙が出ないんです。泣きたくても、泣けないの。

 だから、わたしの代わりに泣いてくれてありがとう。それだけで、心が救われる思いがします。」


春花さんは丁寧に、忘れな草のお茶を淹れてくれた。あんなに可憐な青い花がお茶になるなんて。

「もう二度と会えないけれど、わたしを忘れないで」

そう、わたしがあの人に言いたいことがあるならば、きっとそれかもしれない。

そのお茶を飲んだら、じんわり心に沁みた。


「わたしはね、若菜さんはとても強い力を内に秘めていると感じています。辛いことが沢山あったでしょうに、そんなことを微塵も感じさせないくらい、明るくて。よくここまで頑張ってこられましたね。

 その痛み、乗り越えられなくてもいいんですよ。いつかきっと、その痛みを優しさに変えて、誰かを愛することができるはずです。若菜さんならそれができる、そんな誰かに巡り会えると信じています。

 だから、若菜さんなら、絶対に、素敵な誰かに愛されて幸せになれます。」


「ありがとう、春花さん。

 彼のことは『思い出の好き』に変えて生きていくんです。きっとまた別の誰かを好きになれる、今度はこの想いがまっすぐに届くはず、と信じてるから。

 蛍は儚く消えてしまうけれど、わたしは図太いの。」

春花さんの優しい言葉と美味しいお茶で、わたしの胸は幸せでいっぱいになった。そして、勇気が満ち溢れてきた。


これから先、わたしは新しい誰かと出会うことだろう。でも、傷付くことを恐れずに、この手を伸ばして愛を掴み取るはず。


わたしなら、きっと大丈夫。

(第三章おわり)

「夕されば蛍よりけに燃ゆれども光見ねばやひとのつれなき」
『古今和歌集』紀友則

忘れな草

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