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自然の畏れ多さも神様 都美恵神社さん 倭姫命さまご巡幸地巡り九 ことの葉綴り七九五

みどりの日に巳の日 

おはようございます。GW真っ最中、皆さんお元気でしょうか?
五月四日(水)の暦は、六曜は「先勝」。十二直は、「除」。
二十八宿は「軫」。そして、金運にご縁のある「巳の日」と、天が母のように慈しむ「母倉日」です。
みどりの日。新緑の美しい季節ですね。今日も一日、青葉の様に私たちの心も青々と瑞々しく過ごせますように。


倭姫命さまご巡幸の聖地巡り

二千年以上前、倭姫命さまが、天照大御神さまが永久にお鎮まりになる聖地を求めてご巡幸された足跡の一部をたどりました……。

大和国「宇多秋宮うたのあきのみや」/奈良県宇陀市の「阿紀神社」さん。

佐佐波多宮ささはたのみや」/奈良県宇陀市「篠畑ささはた神社」さん)

伊賀国「市守宮いちもりのみや」/三重県名張市「宇流冨志禰うるふしね神社」さんと「蛭子神社」さん(三重県名張市)。

伊賀国「穴穂宮」こと「神戸神社」さん。

「元伊勢」のことを綴ったマガジンはこちらです。



伊賀国「敢都美恵宮あえつみえのみや」都美恵神社さん

前回お参りをした、「穴穂宮」こと、神戸神社さんは、木津川の近くで、鮎を天照大御神さまのご神饌が今も続いていましたね。
こちらで四年間、天照大御神さまをお祀りされたあと、倭姫命さまご一行が向かわれたのは……同じく伊賀国の「敢都美恵宮あえつみえのみや」です。
こちらと比定されるお宮の三重県伊賀市柘植町の「都美恵つみえ神社」さんへ向かいます。

木津川を小舟で北上していくと、地図でみると、伊賀上野あたりで服部川に合流し、それを東へ進みゆくとやがて柘植川になります。
倭姫命さまご一行さまは、この柘植川を上って、柘植に辿りつかれ、敢都美恵あえつみえというところで、天照大御神さまを二年間お祀りされました。

都美恵つみえ神社」さんは、鳥居から参道を歩くと、第二の鳥居と石段が見えてきます。
小高い山の上にご鎮座されています。
ご祭神は、神戸神社さんにもお祀りされていた、機織りの女神さま栲機千千比賣命たくはたちぢひめのみことさまをはじめ、大日霊貴命おおひるめむちのみこと=天照大御神さま。
そして、倭姫命さまもお祀りされています。
経津主命天児屋根命ふつぬしのみことさま、布津御魂命ふつのみたまのみことさまなど三十五柱の神さまです。

自然の畏れ多さも日本の神さま

創立年代は古く、もともとは「穴石大明神」として、三重県の霊山の中腹の穴師谷にお祀りされていたそうですが、1644年(寛永二十一年)の大洪水により社殿が壊滅し、1646年(正保三年)に、現在の柘植町の丘の中腹へとご遷座したそうです。
大正十一年までは、「穴石神社」と呼ばれていましたが、明治四十珥年の合祀により、倭姫命さまの元伊勢の「都美恵」の名前を頂戴して、「都美恵神社」となったそうです。
また、都美恵は柘植の古語でもあるそうな。

石段を登り、お参りをして……拝殿の奥に、神明づくりのご本殿の「鰹木」が見えています!

あいにく大雨の天気予報で、雲に覆われていましたが、丘の上の樹々に吹く風も強く、畏れおおい厳かな気持ちでお参りしました。
小高い丘の上から望むと、南にはもともとのご鎮座地の霊山でしょうか? が見えています。
また境内には、「神宮遥拝所」もあり、伊勢の神宮とのご縁を感じられます。


そして石段を降りてきて参道入り口から、西へ向かい歩いていくと、「敢都美恵宮あえつみえのみや遺跡」の石碑が!
合祀される前、やはり柘植川の氾濫でご社殿は破損したそうです。


自然の畏れ多さ……。
敬虔な気持ちで祈りたいですね。
と、もう一つ、嬉しい発見がありました!
―それはまた次回へ。




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