日本語方言雑記 (1): 兵庫県北西端
見出し画像は兵庫県香美町香住区の鎧集落。この記事で取り上げる浜坂からは東に15kmほど離れている。
兵庫県北西端
今年度後半の大事に備え、英気を養っている、という口実でどこそこ漫遊している。先日は、兵庫県北西端に位置する新温泉町を訪れた。
かつての但馬国として見ても、やはり北西端に当たるこの町は、その名のとおり、温泉に恵まれた町で、日本海側では海の幸にも有り付ける。
ただし、この町名の通用期間は直近20年弱に過ぎない。近隣の人々や旅好きには、「浜坂」や「湯村」といった地名の方が耳慣れていることだろう。古くは二方郡と呼ばれていたらしい。
兵庫県北西端の方言
前述のとおり、ここ新温泉町には遊びに来たのだけど、そのさなか、同町北部の浜坂で育った高齢者A氏と話す機会に恵まれた。その人は、余所者の僕を相手にしても、当地の方言(と思われる言葉)で話すのである。
ただ聞き流すにはあまりに惜しいので、聞き取れる限り、書き留めさせてもらった。この記事はその覚え書きを整理したものである。文法記述と呼べるようなものではまるでなく、本格的調査に向けての備忘程度に過ぎない。
兵庫県の特殊性
兵庫県は特別大きな(都道府)県ではないが、摂津、淡路、播磨、丹波、但馬という旧国を5つも抱えている。このような県は、47都道府県中、兵庫県しか無い。
方言差に関して言えば、現在の県境より旧国境の方が強く影響する。そのため、「-県方言」という括りは学界では殆んど採用されない。浜坂は前述のとおり、但馬国北西端に位置し、西隣りはもう他国、白兎で知られる因幡国である。
その所為か、浜坂方言 (現状、A氏の個人方言であるが) は但馬方言的特徴と因幡方言的特徴とを併せ持っているように見受けられた。語彙も文法も、京阪神方言のものとはさほど変わらない(ものに変化している)が、母音融合、音調体系、動詞の形態変化には差異が目立つ。
母音
浜坂方言は本土方言一般に同じく、表1に挙げる5種類の母音音素を有している。浜坂方言を特徴付ける [ʲae] は /jae/ ないし /jai/ と解釈できそうであるから、むっつめの母音音素とはしない[*]。
共通語を含む他方言と比べるに、浜坂方言における母音の特徴は母音融合に見られる。母音融合とは、連続する (或いは、かつて連続していた) 2母音を1母音に纏める現象である。日本語諸方言から該当例を取って、表2に挙げる。
5種類の母音音素同士から成る25種類の母音連続は表3のように実現する。本節の頭に述べた「特徴」とは、/ai/, /au/ がそれぞれ [ʲae], [aː] に成る (或いは、対応する) ところを指している。
参考までに、母音連続 /Vi/ の語例を表4に挙げておく。
子音
摩擦音類 /s/, /z/ の硬口蓋化
摩擦音類 /s/, /z/ は、/e/ に先行する際も (太字強調は후나야さんからの御指摘による追記) 頻繁に (体感では大半) 硬口蓋化し、それぞれ [sʲ], [d͡zʲ] で実現する。その例は次掲 (A) のとおり。
(A)
mise-ja [mjisjeja] '店'
makase-n-ja [makasjena] '任せねば'
zen-zen [dzjendzjeN] '全然'
/tu/ の音価
次掲 (B1–3) のとおり、/tu/ は基本的に [t͡su] で実現していたように思う。ただし、(B4) の /tu/ は、1度耳にしたに過ぎないが、摩擦に乏しい [t͡s̆u] (「とぅ」に近い「つ」) で実現していた。このように聞こえた要因は、摩擦の弱さにではなく、母音 /u/ が調音点を /t/ に逆行同化させない (= [ɹ] のような有声歯茎共鳴音で実現しない) ことに有るのかもしれない。
(B)
tuzuk-a-n [tsuzukaN] '続かない'
atu-i [atsui] '暑い', atu-kar-te [atsukatte] '暑くて:<過去>', atu-kar-eba [atsukareba] '暑ければ'
gottu-i [gottui] '物凄い'
matue [mats̆ue] '松江'
/tw/ の存在
次掲 (C) のとおり、[t͡s] が [t͡su] 以外にも確認された。音素配列と音節構造とを考慮するに、これは /tw/ と解釈できよう。
(C)
gottwo [gottso] '御馳走'
/ki/ の音価
次掲 (D) のとおり、/ki/ は基本的に [kʲi] で実現していたように思う。ただし、(D6) の /ki/ のみは何度か [t͡sʲi] (或いは [c͡çi] か) でも実現していた。
(D)
kin [kjiN] '金'
kin-san [kjin̞saN] '金さん [朝鮮姓]'
eki-mae-o [ekjimaeo] '駅前'
ki-nar-ta [kjinatta ~ kjinjatta] '来なさった'
ik-i-te [ikjite] '行って'
kinno [kjinno ~ tsjinno] '昨日'
/hj/ の音価
次掲 (E1–2) のとおり、/hj/ は無声硬口蓋摩擦音 [ç] で実現する。(C3) は、東京方言を思わせるような例 (e.g., [sjakueN] '100円') であるが、この [sʲ] が /hj/ の異音であるのか、或いは、誤解に因るものなのかは不明。
(E)
hjaku-en [CakueN] '100円'
go-hjaku-man [goCakumaN] '500万(円)'
hjundai [sjundai] '現代 [韓国企業]'
動詞・形容詞接尾辞
確認された動詞・形容詞接尾辞を次に列挙する。
動詞接尾辞
(F)
終止:推量
ar-aa [ara:] '有ろう' (/ar-a-u/ の可能性も)終止:否定:非過去
ik-e-hen [ikeheN] '行かない'連用:同時的
ik-i-te [ikjite] '行って', kaw-te [ka:te] '買って', atu-kar-te [atsukatte] '暑くて'連用:条件
atu-kar-eba [atsukareba] '暑ければ'主語尊敬
or-nar-a-n [onnaraN] 'いらっしゃらない', ki-nar-ta [kjinatta ~ kjinjatta] '来なさった'[*]
形容詞接尾辞
(G)
終止:非過去
atu-i [atsui] '暑い', ita-i [itjae ~ itsja:] '痛い' (/-i/ は先行母音と融合)副詞化
sabisi-u [sabisju:] '寂しく', oso-u [oso:] '遅く', taka-u [taka:] '高く' (3例とも /-u/ は先行母音と融合)動詞語幹化
atu-kar-te [atsukatte] '暑くて:<過去>'[*], atu-kar-eba [atsukareba] '暑ければ'
語例
以下は備忘に過ぎない。
(H) 母音連続 /Vu/
aruminiumu [arumjinju:mu] 'アルミニウム'
ren-siu [rensju:] '練習'
oso-u [oso:] '遅く'
taka-u [taka:] '高く'
ar-aa [ara:] '有ろう'
(I) 母音連続 /Ve/
ie [ie] '家'
ue [ue] '上'
eki-mae [ekjimae] '駅前'
(J) 母音連続 /Vo/
kani-o [kanjio] '蟹を'
eki-mae-o [ekjimaeo] '駅前を'
si-tjoo [sjitsjo:] '市長'
soto-o [soto:] '外を'
ao [ao] '青'
hamasaka-o [hamasakao] '浜坂を'
(K) 長母音
takusii [takusji:] 'タクシー'
rentakaa [rentaka:] 'レンタカー'
(L) 音調
horumon [ho˦ru˦moN˨] 'ホルモン'
しご]た ちん]ちん そつぁ たん]たん。もろ]た ぜんな] そつい] かえ]て [に]かと かっ とっの] がそりん]に しもん]で '仕事はテキトー、酒はグビ〴〵。貰った錢は酒に替へて、新しいのを書く時のガソリンにします' 薩摩辯 [/]: 音高の上がり/下がり