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カフェの道のり、64日目。

『コーヒーを、
 調子を整えるための薬のように、飲んでほしい。』


デザインを進めてくださった
ミズノユウタさんのコンサルを受けて


なんとなく、の感覚が
私なりの言葉になった時。


『こういうこと、か❤️』


バラバラに存在していた
ここまでの体験たちと、


”なんとかしたい思い”が
コーヒー愛と共に、明確になって。



食と、植物界だけじゃなく
「全てのことで」


人間界と自然界を
分けてしまっていた部分に気がついた。



健康のために『お砂糖を使わない』
21日間チャレンジを始めようと


考えながらも、
「今すぐ」にはできない心境もあり。


『お砂糖を使わないのに、
 美味しいお菓子を提供する。』


カフェのハードルは
また一段、高くなった。


『スイーツがなきゃ、日常を生きていけない。』
(^^)手放せない、個人の価値観❤️


その折り合いを、どうつけていく?


エネルギーが変化した世の中で
「癒し」も、

これまでのように
たくさんは、必要ない。


『お砂糖は、そもそも薬だった。』


40代にそれを知るまで、
お砂糖は「調味料」の一つだったし


各家庭で、常備できるもの。


まさかその薬の「中毒」に
働き盛りの30代で既に陥ってるとは

思いもよらなかったけど。


”依存症”


人によって、その対象は
さまざまなんだろうけど。


私は、
コーヒーと、甘いものに、依存。


お酒は飲まないし
タバコも吸わない。


それだけで充分健康だと
思っていただけに、


「お砂糖必須」の生活は
なかなか、変えられない。


たぶん、これはどんなものでも
同じなんだろうけど。


他の食品でも、野菜果物でも
お酒も、コーヒー豆も、カカオも


『神様が用意した食べ物』で、
元々は神聖な賜り物、だったはず。


少量でも、
充分に満たされたはずなのに。

過剰摂取を繰り返したことで、
「依存してきた」のは


「人の愚かさ」だし、
無駄に廃棄していることも、同じ。


かつて医食同源という言葉に
栄養士目線では


食事の大切さや
お野菜の使い方にも注目していた。


それなのに、
その後の30年間で


バランスが取れないまま
大人になってしまったと、気がついて


あーでもない、こーでもないと

情報の中に
「正しさ」を探し続けてしまった。



『食生活を、もう一歩
 ”神聖なもの” に戻していく。』


カフェを経営するための
バックボーンになる考え方。


『いただいている』
姿勢を、仕事上も忘れないように


忙しい営業は、しないこと。


なんにしても「命」を
扱うお仕事には、変わらないということ。


緊急対応でもないし、医療でもないけど
「食」という日常の中に


命を育んでもいるという
エネルギーの在り方❤️


(^^)忘れないように
ここに記す♫
















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