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ご質問にお答えします!『「妖しい情念」について教えてください』

脚本家志望の方から、こちらのご質問をいただきました。

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ご質問ありがとうございます。
今回のご質問は、質問者さん以外のほとんどの方にとって「何のことやら?」だと思うので、まずは補足をします。

質問者さんが書かれている通り、私は芦沢俊郎先生の弟子です。
芦沢先生は長年、松竹シナリオ研究所の講師を務められた後、私塾を開かれ、私はこの私塾で学びました。
小規模な塾でしたが、先生はH.P.で「ネット授業」というのを連載されていて、当時の脚本家志望の人で熱心に読んでいた人も多いと思いますし、おそらく質問者さんもそのお一人なのだろうと思います。
(もしかしたら、短期間であっても塾に通われていたのかもしれませんね。)

芦沢先生の教えを象徴する言葉が「妖しい情念」です。
先生の教えをひと言でまとめるならば、「妖しい情念を持った人物こそが、ドラマや映画の主人公としての資格を持つ」ということになるのですが、この「妖しい情念」は、体得するのが非常に難しいのです。
そして、難しいけれども体得することには大きな価値があり、コンクール入賞経験もない私が現在プロの脚本家として活動できている要因の一つは、「怪しい情念」を学んだことだと思っています。

先生は授業のたびに言葉を尽くして、私たちに指導をしてくれていましたが、残念ながら今、塾は休止状態です。
というわけで質問者さんは、弟子である私に質問してこられたのだろうと思います。


前置きが長くなりましたが、ご質問に戻ります。
「妖しい情念についてわかりやすく教えてください」とのこと。
わざわざ「わかりやすく」と書かれているのは、あまりにも理解が難しいからなのでしょう。
いきなり身も蓋もないことを言いますが、弟子の私に「わかりやすく教えてください」とおっしゃるのは、はっきり言って無茶ブリです(笑)
芦沢先生が情熱を持って指導されていても、多くの生徒が体得に苦労していたわけで、この投稿だけでご理解いただけるとも思えませんが、ともかく私なりに解説してみますので、参考程度にお読みください。

実はこれらのツイートは、私なりの言葉で「妖しい情念」を表現したものです。
芦沢先生はよく「主人公は、一般社会通念から逆立ちしていなくてはならない」とおっしゃっていましたね。

私たちの生きる世界には、さまざまな社会通念があります。
例えば「愛情は尊く、美しいもの」「血は水よりも濃い」というのも多くの人が信じる社会通念だと思います。
ですが、これらが100%正しいなどとは言い切れないはずです。
深い愛情は執着を生み、それによって誰かの人生が狂ったり、醜い争いが生まれたりもします。
「血が繋がった相手なのだから…」という思いが、人を救うどころか、呪縛となり、苦しめることもありますよね?
「常識」と思われていることの多くは、実は「思い込み」に過ぎません。
そして、書き手がそれを主人公に体現させる(=作品を通じて、社会通念とは逆の価値観を表現する)ことができれば、「愛情って素晴らしいよね!」という類の「常識を、常識のまま描くストーリー」を超える感動を与えられる。
これを成し得る主人公が「妖しい情念」の持ち主である
、と私は理解しています。

さて、ここまでを”理解したつもり”で作品を書き始めると、多くの人が同じミスをします。
「一般社会通念からの逆立ち」を、「単なる逆張り」と間違えてしまう
のです。
「とにかく、主人公に常識はずれな行動をさせればいいのだな」と勘違いして、「主人公に無闇に反社会的な行動を取らせ、それが罰せられるわけでもなく、主人公はそれなりに幸せになったりする」という類のストーリーを書いて、「妖しい情念を描きました!」と言ってしまうわけです。

ただ逆張りすればいいなら話は簡単ですが、そうは行きません。
一般社会通念から逆立ちした主人公は、常識外れの行動の基となる「その人なりの、独自のロジック」を持っていなければいけません。
そして、その独自のロジックには、読者・観客に「……言われてみれば、そういう考え方もあるかも……」と思わせるだけの説得力が必要なのです。
芦沢先生はこの「主人公の独自のロジック」を「理屈じゃなくて、屁理屈」と表現されていました。
この「妙に説得力のある屁理屈」を考え出すことが、妖しい情念を描く上でのキモであり、最難関ポイントだと私は考えています。
くり返しになりますが、逆張りするだけなら簡単です。
ですが、「一般社会通念とは真逆なのに、妙に説得力のあるロジック」を導き出すことは非常に難しく、多くの人はここでつまずきます。


ここで具体例を挙げてみましょう。
こちらの漫画を読んで、私は「これは妖しい情念だな」と思いました。

主人公は60歳の今、ようやく「愛されるってこういうことか」と感じられる存在に出会えました。
ならば、このまま子猫と一緒に暮せばいいと思いませんか?
子猫を拾った時から彼女は「この年で飼ったら無責任」と言っていますが、今の一般的な感覚でいえば60歳なんて若いですし、愛らしい猫と暮らし始めたからといって、誰が彼女を責めるでしょう?
なのに彼女は、里親家族のもとに子猫を送り出します。
それはなぜか?
この女性には、上述の「独自のロジック」があり、それに基づいて、「常識とは違う選択」をしているのです。

では彼女の「独自のロジック」とは何なのか?
「私、これで責任果たせたよね…?」というセリフに、彼女のロジックがあらわれていると私は思います。
「責任を果たす」ということが、彼女の人生のキーワードなのです。
そうなったきっかけは、「家族に対して無責任だった、亡き父への怒り」です。
母を看取るまでの三十年間、彼女は「娘として、母への責任を果たす」ということを最優先に生きてきたのでしょう。
もっと自由に生きたいと願い、人をうらやんだ日もあったでしょう。
恋を優先したいと思った時だってあったかもしれない。
それでも、彼女は「父のようにはならない」と自分に誓い、その誓いを守り続けたのです。
常識的な人々は、「お母さんを見送って責任を果たしたのだから、もう自由でしょう? 子猫と暮らせばいいじゃない」と言うでしょうね。
でも、彼女にはどうしてもそれができないのです。
「自分が無責任だと思う行動をとる(=子猫を自ら飼う)」ことは、彼女にとって、これまで三十年の自分の生き方を否定することにもなるからだ、と私は感じました。

とても不器用で、つらい生き方に見えますよね。
なのに、彼女の選択に深く心を打たれませんでしたか?
私は理屈抜きに、心を揺り動かされました。
それは、彼女が「妖しい情念の持ち主」だからです。


ご質問がもう一つありましたね。
「妖しい情念を生みだすための水平思考についても教えてください」とのこと。
芦沢先生は「水平思考」という言葉を「視点を変える」という意味で使われていた、と私は理解しています。
一つの物事を自分の側からのみ見るのではなく、別の立場、真逆の立場の視点からも見つめれば、新たな発見があるはずです。
これは作劇のみならず、日々の暮らしのあらゆる場面に活かせるテクニックだと思いますし、私は日常的に使っています。

例えばこちらの投稿に書いたようなことが「水平思考」だと私は捉えていますので、お読みになってみてください。

これからもお互いがんばりましょう!

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