見出し画像

心が綺麗なのではなくて心持ちが綺麗なのだ

相手の良いところを素直に褒めて
相手の幸せを自分ごとのように喜び
見返りは求めずに人に手を差し伸べる。
嫉妬や嫌悪という感情とは無縁。

そんな人になれたらどんなに良いだろう。

「心の綺麗な人」と聞くと、
水晶玉とか底が見えるほどの綺麗な水みたいに
「濁りなく透明でキラキラ輝く心の持ち主」
をイメージする。
でも、本当にそうなのか。

人と比べすぎるのは良くないことは誰だってわかっているけど、
それでも比べてしまって、隣の芝生が青くて、
落ち込んだり嫉妬したり。
相手に頼られたから力になろうと行動した結果、立ち直った相手は喉元過ぎれば精神でろくに感謝もせず去っていき、
べつに見返りを求めていた訳ではないけど、
少し悲しく、そしてうらめしく思ったり。
自分がうまく行っていない時の他人の幸せエピソードが、塩となって自分の心の傷に染みてしまい、ああ自分は最低な人間だと落胆したり。

嫉妬、嫌悪、落胆。
私たちは皆、そういった感情と日々隣り合わせで生きている。感情への対応の仕方が違うだけで。

負の感情を人への攻撃に変えて解消する人、
悪気はなくても態度に出てしまう人に
これまで何度か出会ってきたし、
きっと私もそうしてしまったことがある。

たぶん、心が綺麗な人は、心持ちが綺麗なんだと思う。
つまり、嫌な感情の矛先を他人に向けず、
自分の中でグッと堪えて、消化して、
もしくは誰も傷つけないタイミングと場所で吐き出して、また歩き続けている人なんだと思う。

第三者から見れば、負の感情をそもそも抱かない人のように見えるけれど、
きっと誰からも気づかれないところで嫌な自分と闘って、折り合いをつけて、
そしてまた背筋を伸ばして前を向く。

そんな人になりたいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?