ものがたりを受け止める

小学校の低学年くらいまで、漫画やアニメは大好きだったが、文字の本を読むのはとても苦手だった。意味が頭に入ってこないのだ。

大人になった今でも若干その傾向はある。文字を読むのが苦手なわけでは無いが、読んだ文字が脳の表層を滑りながら通り過ぎてゆく。ちっとも頭に入ってこない。なので、文字から物語を読み取るのは極めて苦手だった。

文字から物語を受け止めなければと思ったきっかけは、小学2年生の頃に目覚めた第3のサブカルチャー・ゲームだった。

当時はまだ街に小さなゲームショップが溢れていたので、唯一持っていたハードであるゲームボーイのソフトをよく見に行っていた。そしてある日、全く知らずに「ゼルダの伝説」に手を伸ばした。

購入したのは「ゼルダの伝説 夢をみる島」。ゼルダ内でも影の名作と言われる一作で、肝心のゼルダが一切出てこないというちょっと変わったタイトルである。それまではポケモンと牧場物語GBしか遊んだことのなかった私にとって、とても物語性の強いファンタジー世界のデビューであった。

ゲームは受動的に受けとるテキスト情報、グラフィック情報に加えて、自分で操作するという能動的な要素が幅を占める不思議なジャンルである。もちろん私は文字情報の受け止め方がふんわりしていた。大事なセリフが脳の表層を滑り落ちてゆき、起きていることがちっとも把握できなかったが、それでも能動的に楽しめるのがゲームの良いところだと思う。思えば当時の私は、リンクに全く自己投影をしないまま冒険をしていた。

物語は進行するにつれ何やら不穏な文字が増えていった。戦う中ボスたちがみんな私の行動を非難する。仲の良い女の子がなんだかフラグっぽいことをやたら言う。ああ、何かが何かでアレな感じだなと、極めてふんわり受け止めながらゲームを進めた。そしてラストバトルへ。

古い作品だが数年前にリメイクが発売されたので一応伏せるが、ラスボスを倒し旅の目的を果たした時、ゲーム画面内で起こった出来事を見て、ようやく私は「プレイヤーがこれまでやってきたことの意味」を理解して呆然となった。自分がしてきた冒険を悔やむほど虚無感に包まれ、頭が真っ白になりエンディングの間動けなくなってしまったのを覚えている。あれほど「時を戻したい」と思ったことはなかった。

フクロウの言葉をきちんと読み解いていれば、倒した中ボスたちが死に際に吐き捨てた言葉の意味をきちんと我が事として考えていれば、最後になにが起こるかはある程度想定できたはずだった。ある程度想定していれば最後の最後でアレほどのダメージを負うことはなかっただろうと思うと、シナリオを読み取ることの大切さが身にしみて分かった出来事であった。

いまでもラストの衝撃度でこのゲームを上回った作品を知らないので、もし遊んでいない人はぜひNintendo Switch onlineでゲームボーイ版を遊んでもらいたい。ラストのショックは、きっと白黒の方が映えるだろうと思う。

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