【100円】プラトン『国家』第2巻の要約

哲学する高等遊民です。大学院ではギリシア哲学を主に研究していました。

プラトン『国家』は、史上最大の哲学者プラトンの主著と言われる著作です

非常に重要な作品なのですが、少々長いし難しい。(岩波文庫で上下巻。900頁ほどです)

このnoteでは、『国家』の内容をおよそ10分の1に縮めて、議論だけ丁寧に追っています

こちらのnoteを読めば、『国家』第2巻の議論の内容は9割ほどはカバーできます


こちらのnoteはマガジンで購入されることをおすすめします。


第1巻の無料部分で、

・『国家』はどんな作品か?
・『国家』を読む意義

などを簡単に説明してます


全10巻あるうちの、第2巻の要約です。私の要約の手間賃として、100円を頂ければ幸いです。

プラトン『国家』の購入を検討される方はこちらからどうぞ↓


プラトン『国家』 第2巻要約

グラウコンの疑問(357A-358D)

第1巻で自分は正義について無知であるとし、議論を終えようとするソクラテス。しかし今までの議論は前奏曲に過ぎなかったと回想する。先の議論で満足のいかないグラウコンが待ったをかけ、疑問をぶつける。

「正義とはそれ自体のためにもそれから生じる結果のためにも愛するべきものに属すると思う。しかし多くの人々には、正義とはつらいものの一種であると思われている。報酬や評判のために行わなければならないもので、それ自体としては苦しいから避けなければならいないような種類のものだと。(358A)」 

対してソクラテスは、これを承知しており、トラシュマコスの意見も正義をそのようなものと見なしているからだという。グラウコンが本当に聞きたいのは、正不正のそれぞれが何であるか、またそれらが魂の内にあるとき、純粋にそれ自体としてどのような力を持つものなのかであり、報酬その他、正不正の<結果>として生じる事柄には関係ない。ソクラテスにはこれらの結果に関係なく、正義がただそれ自体として讃えてほしい、またそのためにできる限り不正な生を讃えてみるので、それを咎め、説得して欲しいと期待する。

社会の見方(358E-359B) 正義の本性とは?

グラウコンが不正を讃え、語りだす。まず正義の起源とは何であるか? 人々の主張では、自然本来のあり方からいえば、不正を加えるのは善(利)、不正を被るのは悪(害)であるが、不正を被ることで受ける害のほうが、不正を加えることで得る利よりも大きい。そこで一方を避け、他方を得るだけの能力がない人々は、不正を加えることも受けることもないように互いに契約しておくのが得策と考えるようになる。

こうして法律や契約が生まれ、それの命ずる事柄を「正しいこと」と呼ぶようになった。このような社会契約が正義の起源であり、本性である。つまり正義とは不正をすること(最善)も避けることもできない(最悪)人々の妥協点であって、この正義に積極的な善はない。不正を讃える人たちの説が主張する正義の起源とはこのようなものである(359A-B)。


思考実験(359C-360D) ギュゲスの指輪

正義を守る人々は不正を働く能力がないためにしぶしぶそうしているという主張を証明するには、正しい人と不正な人に望むままの自由を与えてやればよくわかると言い、ギュゲスの指輪の話を語る。リュディアのギュゲスは羊飼いであり、リュディア王に仕えていたが、ある日大雨と地震が起こり、羊の放牧地にぽっかり穴が空いた。ギュゲスがそこに入っていくと不思議なものが色々あるのを見つけ、中でも目に付いたのは青銅でできた馬だった。それは中が空洞になっていて、小さな窓がついており、中をのぞくと人間並み以上の大きさの屍体があるのが見えた。ギュゲスはその指にはまっていた黄金の指輪を抜き取って穴を出た。

その後羊飼いたちが羊の様子を王に報告するための恒例の集まりにギュゲスも指輪をはめて出席し、他の羊飼いたちと一緒に座っていたが、ふと指輪の玉受けを内側に回すと、たちまち姿が消えてしまい、人々はざわめいた。驚いたギュゲスが指輪を外側に回すと、今度は見えるようになった。ギュゲスはこの指輪の能力を知ると、さっそく王のもとへ忍び込み、妃と共謀して王を殺してしまい、王権をわがものとした。

この話を受け、仮にこの指輪が2つあるものとし、正しい人と不正な人がはめるとしよう。それでもなお正義を貫き、他人のものに手をつけずに(他人に不正を加えずに)控えている人がいるだろうか。ひとりもいないだろう。このことこそ何びとも自発的に正しい人間である者はなく、強制されてやむを得ずそうなっているのだということの動かぬ証拠である。

これは不正を働くことが、正義よりも得になると考えているからにほかならず、またこの考えが正しい。なぜならすべて自然状態にあるものは、欲心をこそ善きものとして追求するのが本来のあり方であって、法の力はそれを抑制するに過ぎないのである。つまり自然と法、ピュシスとノモスは対立したものであると、不正の讃美者は主張する。

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