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論語

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『論語』に関する記事をまとめています。
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記事一覧

学び続けるために大切なこと(『論語』憲問篇)

今回取り上げるのは『論語』憲問篇からの言葉。 昔の学者は自己修養のために学んだものだが、今の学者は他人に認められるために学んでいる、という意味。 学びの目的に関するお話ですね。 自分の成長のために学ぶのか、それとも世間に認められるために学ぶのか。 学ぶ目的は人それぞれです。 ですが、今後も学びを継続していきたいのであれば、自分の本心に寄り添った理由を見つけておいた方が良いと思います。 学びの理由が自分の内側にあると、辛いときや苦しいときに踏ん張ることができるからで

口先だけの人ではなく、発言に行動が伴う人に、私はなりたい(『論語』憲問篇)

今回取り上げるのは『論語』憲問篇からの言葉。 立派な人間は、自分の発言が自身の行いよりも大げさになることを恥じるものである、という意味。 孔子の言葉です。 つまり、口先だけ立派な人ではなく、発言に行動が伴う人になりなさい、ということですね。 孔子は、発言内容よりも実際の行動を重視していました。 なぜなら、発言だけ立派でも、行動が伴わなければ意味がないからです。 孔子が生きた時代は、戦争や裏切り、下剋上が当たり前の時代でした。 そんな中、孔子が理想としていたのは仁

目標達成のポイントは長期的・大局的な視点を忘れないことにある(『論語』子路篇)

今回取り上げるのは『論語』子路篇からの言葉。 焦って何かをしようとしてはいけない。小さい利益に目を奪われてはいけない、という意味。 弟子の子夏(しか)に対して、孔子が与えたアドバイスです。 つまり、何かを成し遂げるためには、長期的・大局的な視点を大事にしなさい、ということですね。 孔子が今回のアドバイスを送ったのは、子夏がとある町の城主に任命されたときのことでした。 孔子の弟子の中でも若いグループに属する子夏は、城主として赴任するにあたり、政治の進め方について孔子に

冷めたスープを温め直すように、過去から新たな気づきを得る(『論語』為政篇)

今回取り上げるのは『論語』為政篇からの言葉。 過去の歴史や伝統を見つめ直し、新たな学びを得る。 そうすることではじめて他人の師となることができるのだ、という意味。 「温故知新」という四字熟語として、『論語』の中でも特に有名な言葉ですよね。 皆様も、学校の教科書などで一度は見聞きしたことがあると思います。 もしかしたら、そのときは「フルきをアタタめて」ではなく、「フルきをタズねて」と読んだかもしれません。 これは典拠とした注釈の違いによるものなので、どちらでも正解です

目の前の利益ではなく、思いやりの心に従って生きたい(『論語』里仁篇)

今回取り上げるのは『論語』里仁篇からの言葉。 利益本位で行動すると、怨みを買いやすくなる、という意味。 孔子自身の言葉です。 つまり、利益のために行動すると余計な怨みを招きやすいから、仁の心に基づいて行動しなさい、ということですね。 孔子といえば仁の人で有名です。 そのイメージから、孔子はお金や権力を得ることを否定していたと思う方もいらっしゃるかもしれません。 ですが、実は彼は、利益を得たり、高い地位を得たりすること自体を否定していたわけではないのです。 財産と

大事なのは、ただ学ぶのではなく、学びと実践を繰り返すこと(『論語』公冶長篇)

今回取り上げるのは『論語』公冶長篇からの言葉。 まだ学んだことを実行できていない間は、さらに新しい学びを聞くことを恐れた、という意味。 孔子の弟子である子路(しろ)についての言葉です。 つまり、学んだことは速やかに実行しなさい、ということですね。 子路は孔子の門下生の中でも特に優秀な10人のうちの一人に数えられます。 (=孔門十哲) 何に対してもまっすぐで、孔子に献身的に尽くした実直な人です。 弟子の中でも特に武勇に優れており、理論よりも実践を重んじました。 孔

信念を貫き通す力(『論語』子罕篇)

今回取り上げるのは『論語』子罕篇からの言葉。 寒い季節になってはじめて、松とヒノキの葉が他の木々に遅れて枯れ落ちてゆくことに気づく、という意味。 孔子が亡命していた際、少しずつ弟子たちが離れていく様子を語った言葉です。 困難な状況に置かれた際に、自分の信念を貫き通すことの難しさを表しています。 孔子は紀元前497年から前484年まで、14年もの長い間、弟子たちとともに亡命生活を送っていました。 しかし、はじめのころは大勢付き従っていた弟子たちも、亡命生活が続くうちに

賢さとは、自分が何を知っていて何を知らないのか自覚すること(『論語』為政篇)

今回取り上げるのは『論語』為政篇からの言葉。 知っていることを知っているとし、知らないことを知らないと認めること、これこそが知るということなのだ、という意味。 孔子が、弟子の子路に向けて語ったアドバイスです。 ソクラテスの「不知の知」に近い考え方ですね。 孔子の没後まもなく、中国よりはるか西方にあるギリシアで、かの有名なソクラテスが生まれました。 このソクラテスも孔子と同様のことを唱えています。 それが「不知の知」または「不知の自覚」と呼ばれる考え方です。 「自

結局、悩んだときには専門家や経験者に聞くのが一番早くて確実(『論語』子路篇)

今回取り上げるのは『論語』子路篇からの言葉。 農業に関して、私は老齢の農夫に及ばない、という意味。 弟子から農業について質問を受けた際に、孔子が答えていった言葉です。 つまり、疑問に思ったことは専門の人に聞きなさい、ということですね。 孔子は貧しい環境で育ったため、もしかしたら若い頃に農業に従事したことがあったのかもしれません。 そうであれば、多少は農業知識を有していた可能性もあるでしょう。 しかし、仮にそうであったとしても、何十年と農業に従事している本職のベテラ

孔子だって疲れたら、どこか遠いところへ行きたくなる(『論語』公冶長篇)

今回取り上げるのは『論語』公冶長篇からの言葉。 私の理想は実現しそうにないから、いかだに乗って海の向こうへ行こうかしら、という意味。 孔子が、自分の理想がなかなか実現しないことを憂えて呟いた言葉です。 ちょっと弱気になっている孔子の姿が想像できます。 『論語』の言葉はどれも含蓄があるので、人によっては敷居が高いように感じてしまうかもしれません。 しかし、孔子ほどの人物でも、心が挫けそうになったときには、ちょっとした冗談を言うこともあったのです。 このような孔子のつ

自分という苗を丁寧に育てよう(『論語』子罕篇)

今回取り上げるのは『論語』子罕篇からの言葉。 苗のまま芽が出ない者もいれば、芽が出ても実をつけずに終わる者もいる、という意味。 つまり、なかなか結果が出ない人もいれば、才能があっても大成できずに終わる人もいる、ということですね。 孔子が穀物の苗に例えて、人の教育の難しさを語った言葉です。 私は田植え体験をしたことがあるのですが、穀物を育てるというのは想像を絶するほど大変な作業です。 実るまでに時間がかかることもそうですが、苗を植えるのも重労働ですし、植えた後の手入れ

適切な度合いを見極める目を養っていきたい(『論語』先進篇)

今回取り上げるのは『論語』先進篇からの言葉。 適切な度合いを超えてしまうのは足りないのと同じようなものだ、という意味。 日常生活でも使う有名な言葉ですね。 現代では、やり過ぎることを諌める意味合いで用いられることが多いと思います。 デジタル大辞泉も見てみましょう。 原文と同じ意味合いですね。 現代ではことわざの一つとして利用されていますが、実は福沢諭吉も『学問のすゝめ』の中で言及しています。 意味の説明として食べ物を例に出し、食事は健康にとって重要な要素だが、食

孔子と大谷翔平選手に共通する2つのこと(『論語』述而篇)

今回取り上げるのは『論語』述而篇からの言葉。 私は生まれながらにして何でも知っていたわけではない、古代を愛し、努力を重ねて探究してきた者なのだ、という意味。 孔子が自身の在り方について語った言葉ですね。 おそらく、弟子から「孔子先生は天才だからな〜」などと言われたのでしょう。 そのため、自分は天才ではなく、努力の人なのだと、改めて語ったのだと思います。 孔子は現代にまで影響を残すほどの偉大な人物なので、 「生まれながらの天才」 「一般人とは違う別世界の人」 のよ

解釈の余地があるからこそ、古典はあなただけの言葉になる(『論語』子罕篇)

今回取り上げるのは『論語』子罕篇からの言葉。 「過ぎ去っていくものは皆このようなものなのだな、昼も夜も変わることがない」という意味。 孔子が川のほとりに立ってつぶやいた言葉になります。 つまり、川の流れと同じように、時の流れは昼夜を問わずに過ぎ去っていくものなのだな、ということです。 古典には代々、有識者の手によって注釈が加えられてきました。 意味が分かりにくい箇所や補足説明が必要な箇所に説明を加える、あの注釈です。 古典は昔の人が書いたものなので、当時の文化的背