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荀子

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『荀子』に関する記事をまとめています。
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記事一覧

口撃してくる人は相手にせず、礼節を持って対応してくれる人と会話しよう(『荀子』勧学篇)

今回取り上げるのは『荀子』勧学篇からの言葉。 やたらと人と争いたがる人とは、一緒に語り合ってはいけない、という意味。 ここでいう「争い」とは口論のことです。 つまり、揚げ足を取ったり、皮肉を言ってばかりの人とは、共に語り合ってはならない、ということですね。 皆様は、ユダヤ教にある以下の教えをご存知でしょうか? 精神科医の樺沢紫苑さんは、この教えを「好意の1対2対7の法則」と呼んでいます。 どんなコミュニティでも、周囲の人々のうちの1割くらいは自分を嫌っているので、

日々の小さな学びの習慣が、あなたの才能を磨く砥石となる(『荀子』性悪篇)

今回取り上げるのは『荀子』性悪篇からの言葉。 鈍い刃物でも、砥石で磨かれることによって必ず鋭くなる、という意味。 「鈍い刃物」というのは、人の生まれ持った悪の性質を表現した比喩です。 また「砥石で磨く」というのは、後天的な学びによって、人の本性が良い方向へ成長することを表しています。 つまり、どんな人でも学びを進めることでより良い人間になれる、ということですね。 荀子の基本的な考え方は、「人は誰でも、後天的な努力と学習によって才能を開花させることができる」というもの

荀子が大切にした、誰でもできるたった一つの心がけ(『荀子』勧学篇)

今回取り上げるのは『荀子』勧学篇からの言葉。 足の遅い馬でもはるか遠くまで行けるのは、歩くことを決して諦めないからだ、という意味。 十駕とは、馬に乗って10日かかる行程のこと。 10日というのはあくまで比喩であり、ここでは「例え遅い馬でも、努力すれば遠くの目的地にたどり着くことができる」という意味合いです。 つまり、どんな凡人でも努力することを諦めなければ、いつか大きな成果を達成することができる、ということですね。 過去の記事でも何度か触れましたが、荀子は努力を重視

どうにもならないことに心乱されるのはもうやめにしよう(『荀子』王覇篇)

今回取り上げるのは『荀子』王覇篇からの言葉。 まっすぐな木を立てて、その影が曲がることを求める、という意味。 荀子の例え話です。 つまり、不可能なことをしようとしても意味がない、ということですね。 人間が精神的に疲弊するのは、自分では制御できないことを何とかしようとしたときです。 「明日の天気を晴れにする」とか「宝くじを当てる」などの自然や運が関わることであれば、誰もが落ち着いて「まっ、仕方ないか」と諦めることができるのですが、人が相手になると違います。 「〇〇さ

発言する時に大事なのは、量ではなくタイミング(『荀子』非十二子篇)

今回取り上げるのは『荀子』非十二子篇からの言葉。 発言してそれが道理に当たるのが知恵であり、沈黙してそれが道理に当たるのもまた知恵である、という意味。 つまり、口に出すべきときには発言し、黙るべきときには黙るというのが深い知恵のあり方である、ということですね。 仕事や日常生活においては、何かしら発言しなければならない場面が多く訪れます。 特に仕事では、会社の方針で「発言しない人は会議に出るな」と言われることもあるでしょう。 「船頭多くして船山に上る」とも言うように、

人の可能性は不断の努力と学習によって切り開かれる(『荀子』勧学篇)

今回取り上げるのは『荀子』勧学篇からの言葉。 刻んでいる途中でやめてしまうと、腐った木でさえ折ることはできないが、刻むことをやめなければ、金石でさえも刻みつけることができる、という意味。 努力を続けることの大切さを説いた言葉です。 つまり、途中で努力することを諦めてしまうと、どんなに簡単なことでも達成することはできないが、努力することを諦めさえしなければ、どんなに難しいことでも達成することはできるのだ、ということですね。 荀子は性悪説で知られているため、なんとなくネガ

より良い学びの機会は、より良い読書環境から始まる(『荀子』勧学篇)

今回取り上げるのは『荀子』勧学篇からの言葉。 地面に広がって生えるヨモギも、真っ直ぐに伸びる麻の中で育てば、何もしなくてもまっすぐに伸びるものだ、という意味。 周囲の環境の大切さを語った言葉です。 つまり、良い環境にいれば、人は自然と正しい方向に進むものだ、ということですね。 「麻の中の蓬」という言葉でご存知の方もいらっしゃるかもしれません。 鎌倉時代の説話集である『十訓抄(じっきんしょう)』にも同様の言葉があります。 人は皆、善人に出会うことを願うべきだ。 「麻

今日得たその知識、きちんと自分のものにできていますか?(『荀子』栄辱篇)

今回取り上げるのは『荀子』栄辱篇からの言葉。 短いつるべ縄では深い井戸の水を汲むことはできない、という意味。 つまり、思慮が浅い人は物事を深く考えることができず、目的を達成することができない、ということを表しています。 ちなみに、「つるべ縄」とは、井戸に備え付けられている桶につながっている紐のことです。 昔話やアニメなどで時々見かけると思いますが、滑車につながっている紐をぐるぐる引っ張ると、井戸の中からバケツ(桶)が出てきたりしますよね。 以下が実際のつるべ縄です。

疑うべきときに疑うこともまた真心である(『荀子』非十二子篇)

今回取り上げるのは『荀子』非十二子篇からの言葉。 信ずべきことを信じるのが誠であり、疑うべきことを疑うこともまた誠である、という意味。 誠とは真心であり、自分や相手に対して嘘偽りのないことを表します。 つまり、信じるべきことを信じるのが真心であり、疑うべきことを忖度せずに疑うこともまた真心である、ということですね。 「真心を込める」というと、どこか相手を大切に尊重するようなイメージがあるかもしれませんが、それだけではありません。 相手が間違ったことをしていたら指摘し

誰かに言葉を贈ることの尊さ(『荀子』非相篇)

今回取り上げるのは『荀子』非相篇からの言葉。 人に優れた言葉を贈ることは、金銀宝石を贈ることもよりも尊い、という意味。 金品は使うと無くなってしまいますが、言葉はいつまでも心に残り続けます。 古典や歴史の名言が現代にまで伝わっているのも、それらの言葉が時の人々を魅了したからでしょう。 言葉には大きな力があります。 いわゆる言霊ですね。 人を元気づけたり、目標に向かって進むエネルギーになったりするポジティブな力です。 一方で、人を悲しませたり、傷つけたりするネガテ

何かうまくいかない時期もあるよね、人生だもの(『荀子』宥坐篇)

今回取り上げるのは『荀子』宥坐篇からの言葉。 人生にはうまくいくときといかないときがある、という意味。 うまくいくかどうかは、その時々の時勢や状況によって変わってきます。 なので、例えうまくいかなくても必要以上に落ち込むことはないし、仮にうまくいったとしても調子に乗らないことが大事なのだ、ということですね。 「勝敗は時の運」とも言いますし、「禍福は糾える縄の如し」とも言います。 良くないことが続くと不安な気持ちになってしまいますが、良いことも悪いこともその時々に応じ

他人との約束は守るのに、自分との約束は守らないの?(『荀子』子道篇)

今回取り上げるのは『荀子』子道篇からの言葉。 自分のことを知るのが真の知者であり、自分のことを愛するのが真の仁者である、という意味。 孔子の「知者とは何か、仁者とは何か」という問いに、弟子の顔淵が答える形で述べられた言葉です。 「自分のことを知りなさい」 「本当の自分を見つけよう」 そういった自己啓発本は結構多いですが、自分のことを愛するというのも同じくらい大事だと思います。 先日、数年間放置していたゲームを遊びました。 ずっと好きだったゲームで、いつか絶対にやろ

メンタルが限界で退職したいときは休職を挟んでみるのがおすすめ(『荀子』解蔽篇)

今回取り上げるのは『荀子』解蔽篇からの言葉。 自分の心に疑いを抱いている状態で悩んでいることを決めようとすると、その決定は正しいものとはならない、という意味。 自分の心に疑いがある時点で思考が偏ってしまい、冷静な判断が下せなくなっているからです。 悩みごとに答えを出すのは、自分の心が落ち着いているときにせよ、ということですね。 特に、心が不調のときには、退職や転職などの大きな決断は避けたほうが良いです。 これらは一度決めてしまうとすぐにやり直せないタイプの事柄だから

未来は今日の小さな一歩から始まる(『荀子』非相篇)

今回取り上げるのは『荀子』非相篇からの言葉。 遠い将来のことを知ろうとするならば、まずは今日のことを明確にしなさい、という意味。 「千歳」は具体的な1000年を表しているのではなく、抽象的に遠い将来を表しています。 今日の積み重ねの先に将来があるのだ、ということです。 これは目標を達成したり、習慣を身につけたりすることにも通じるように思います。 先日『小さな習慣』という本を読みました。 目標を達成するには、ばかばかしくなるくらいにステップを小さく分けることが大事、