見出し画像

心の穴に触れあいたいの。

紙の書籍を新たに購入したので、本棚の整理をした。  
7年ほど前に購入した懐かしい本に手が止まる。  
二村ヒトシさんの、"なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか"だ。  
当時付き合っていた人との関係に悩んでいた私が、タイトルに惹かれて購入した本だった。読んだ当時は、そうかなぁ、そんなことないけど…なんていまいちピンときていなかった言葉たちが、7年経った今読んでみると、ストンと心に収まっていくのを感じた。


 私の20代の頃の恋愛は、あまり褒められたものではなかった。真面目にお付き合いした人もいれば、不真面目な関係の人もいた。名前さえ思い出せない人だっている。上手くいかない恋の隙間を埋めるため、他の人で埋めようとした。満たされることなんてないのに。
そんな当時の記憶が蘇ってきて、少しだけ嫌な気分になる。若かった、なんて言葉で済ませてはいけないような、焦げ付くように苦く甘い思い出たち。 

 30を過ぎて数年、不思議なくらい穏やかな日々を過ごしている。感情の下降がほぼなく、寂しさや悲しさに泣く事ももうない。愛して欲しくて心が擦り切れる事も、愛されなくて絶望する事もない。とても心穏やかで、とても心地良い。

何が変わったんだろう。 

答えは本の中に書いてあった。

この本の中で、"自己受容"という言葉が何度も出てくる。当時は、"私、自己受容できてると思うんですけど"なんて思っていたけれど、それはできているのではなく、"できている自分でいたいだけ"だったのだと思う。思い返せば、全然できていないんだもの。それでも当時は、本気で思っていたのだ。私は自己受容できている女だと。

自己受容とは何かって簡単に言うと、自分を認めて愛すこと。
過去の私がしていたのは、自分を認めて(※嫌なところには蓋をして自分の好きなところだけを表面上)愛すこと。たっぷりの注釈付きだ。そりゃ違うだろ、とつっこみたくなる。
そして、本の言葉を借りると、私の恋は"相手を愛しているのではなく、ただ求めて執着しているだけ"だった。そして、"自分に恋をしていて、自分を愛せていなかった"のだ。


ここ1〜2年は特に1人の時間が必然的に増え、自分と向き合う時間が山ほどあった。自分の隠したい面や、蓋をしていた事、好きな事、嫌いな事、本当に欲しいもの、手放したいもの、心の動き、静かにゆっくり紐解いていった。心を整理してみると、案外シンプルで、なんてことないような気になった。風の音も聞こえない、凪いだ水面に立っているように穏やかな気分だった。7年前より自分のあらゆる面を認めてあげられるようになったんだなと思うと、冷えた手足に血が通うような気がした。誰かに暖めてもらう必要はない。自分で自分を抱きしめて、暖めてあげられるような。これが自己受容ってやつなのではないかと7年越しに思う。

+++

塞がらない「自分の心の穴」がどんな形なのかを浮き彫りにするために、恋をしてしまう。恋の本当の目的は、自分をわかることにある。
━━9章 運命の相手は、どこにいるのか? より抜粋

そうして、お互い「自分の心の穴」を知って、お互いの心の穴に触れ合って、抱き合うんだって。

私は、自分の心の穴をわかろうとしただろうか。
相手の心の穴を、わかろうとしただろうか。

できていなかったなと思う。
若い頃は自分を良く見せようとするのに必死で、いつだって余裕がなくて、自分中心で、自分の嫌な面には蓋をして、綺麗にラッピングした自分でいたかった。別れ際に「もっとわがままを言って欲しかった」なんて言わせて、良い子の皮を被った人形みたい。中の綿はドロドロで真っ黒だったのに。それも見せることなくさよならして、そんなんじゃわかり合うとは程遠いよね。

相手の心の穴に触れたかった。それは間違いなく思っていた。先に触れさせてもらって、初めて自分の心の穴に触れてもらうことができると思っていた。けれど結局、曝け出し合える人はいなかった。誰だって自分を曝け出すのは怖い。わかり合うために、踏み出す一歩は怖いよ。けれど大切な相手なら、踏み出さなきゃ始まらない。

心の穴に触れたいの。そして、触れてほしいの。触れ合いたいの。30代になってようやく、本当の意味で教えてくれる人に出逢えて、初めて点と点が線で繋がった気がした。自分を曝け出しても受け止めてもらえる幸福感。ひとりでしっかりと立った上で誰かを愛すことの幸福感。あぁ、これが私の心の穴だったんだなと、自分自身で気付いてストンと認められて、心が満たされていくのがわかった。あの時、もっと分かってあげられたら良かったな、と遠くを見ながら思った。




サポートとても嬉しいです。凹んだ時や、人の幸せを素直に喜べない”ひねくれ期”に、心を丸くしてくれるようなものにあてさせていただきます。先日、ティラミスと珈琲を頂きました。なんだか少し、心が優しくなれた気がします。