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28 さよなら、僕の平和な日々よ

 もうすぐで車というところまで来て、その車の影から人影が踊り出た。それに気付いた瞬間には、その人物は僕と美佐子さんに襲いかかった。美佐子さんは腕でガードしたが、その人物の蹴りをくらって地面に投げ出された。
「美…っ!」
 僕が美佐子さんに気を取られた次の瞬間、今度は僕に向かって上段の回し蹴りが飛んできた。
 早い!
 攻撃をかわせないと読んだ僕は、腕でガードしながら蹴り出された方向にわざと跳んだ。
「っ!」
 腕がびりびりとする程の重く鋭い蹴りだ!
「えっ!」
 しかも!
 ショートカットの美女は、にっと口もとを吊り上げて笑うと、再び僕に蹴りを繰り出す。
 女の人だっ!
 体制の崩れていた僕は、脇腹にもろに蹴りを食らって地面に転がった。
「うっ……くっ!」
 なんて重い蹴りなんだ! マジにダメージあるぞ!
 痛みの余り体を折る。それでも顔をあげると、相手はすでに次のモーションに入っている。
 頭狙いだ!
「ストップ!」
 美佐子さんが叫ぶと、その人物はピタリと動きを止めた。僕の鼻先に靴の先端があった。
 うひゃぁぁ……
「それあたしの息子よ。殺す気?」
「あら…ごめんなさい。赤翼会の残党かと思っちゃったわ」
 何……? 何なのこの人?
 美佐子さんの……知り合い?
 そろそろと視線をあげると、その人物は僕を見てにこりと笑った。先ほどの笑みに比べると、随分友好的だが、僕としては自失茫然。
「ごめんなさいね。赤翼会の仲間かと思っちゃったわ。君が良一君ね? 起きられるかしら?」
「はぁ……」
 とりあえず、地面に転がっているのもどうかなと思うので、僕はゆっくりと起き上がった。
「っ!」
 これがまた真面目に痛いっ! 肋骨がきりきりとする。まぁ、折れたりはしていないだろうが、明日にはどす黒い痣ができているのは、確実と思われるような痛さだ。
 僕は息を止めてゆっくりと上体を起こしたが、立ち上がる気にはなれずに地面に座った。
 そしてそのまま見上げると、美女は面白そうに僕を見ていた。
 歳は二十代後半くらいだろうか? ショートカットではあるが、色気を感じるような顔立ちをしている。プロポーションもまずまずだ。美佐子さんよりも身長はあるかもしれない。上は黒のワイシャツ、下はレザーパンツ、靴は革のブーツだ。しかも全部黒づくめ。まぁ、美佐子さんも、現在の僕も同じところか。
 つまるところ、この闇に対応した迷彩服ってわけ。
「あの……」
「稲元君なら無事よ。向こうの車に待たせてあるわ」
「そう……手間かけさせたわね」
「いいえ、大した手間じゃないわ。中は美佐子が片付けてくれたんですもの、これくらい」
 やはり美佐子さんの知り合いか。
 それにしても……何者だ、この人は?
 こちらの事情に通じていることはわかる。わかっている上で、恐らく美佐子さんとは別の意思でここにいるっていうのもなんとなく。
 それから只者じゃないってこともね。
 蹴り技を中心とした格闘技に精通している。はっきり言って、不意打ちじゃなかったとしても、僕には歯が立たない相手だ。
「痛む?」
「えぇ、まぁ、とても」
 正直に告げると、その人は楽しそうに笑った。
「そのわりには大したものね。最初の蹴りを完全に読んでいたでしょ?」
 読まれたとわかっていながらもあの蹴りか。何者なんだ、この人は?
 知りたいような………絶対に関わりたくないような………複雑な気持ちだ。
「わかっていてもかわせませんでしたし。ところで、あなたは美佐子さんの知り合いの方ですよね?」
 質問というより確認になってしまったが、美佐子さんの名前を口にしただけではなく、僕が良一だということもわかっている相手に、知り合いなんですか? などと聞くのもなんだかなぁと思ったのだ。
「えぇ、そうよ。大林早苗おおばやしさなえというの。よろしく、良一君」
 あまりよろしくしないほうがいいような気もするが、そうもいかないんだろうなぁ。
「はぁ……よろしく。警察の人なんですか?」
「違うわね。美佐子、あなた話してないの?」
「本人が聞きたがらないんだもの。それとも今聞く?」
 美佐子さんの邪悪な微笑みに、僕の本能は身震いした。聞けば後悔すること請合い。
「聞かないことにする」
「ほらね?」
 美佐子さんは勝ち誇ったような口調でそう言った。
 いいんだ。類は友を呼ぶって言うくらいだ。美佐子さんの知り合いなら、美佐子さん並みには非常識で、後ろ暗い職業の人なんだって想像つくもの。
 しかしなんだか大事になってきたな。
 稲元のじいちゃんが代議士で、とある代議士と左翼の収賄事件の証拠をつかんだ。しかしそれを告発する前に、告発しようとしていることを赤翼会に知られてしまった。そのために、稲元のじいちゃんは稲元たちに危険が及ばないように、稲元と稲元の母親を美佐子さんに頼んで、どこかへ逃がそうとした。
 しかし赤翼会の方が、早く動いた……
 そしてこの大林早苗というこの人物は、どう関わってくるんだ?
 
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