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30 さよなら、僕の平和な日々よ

 もちろん、犯罪を犯罪と認識して犯しているわけだから、告発されるのは避けたいだろう。だが、避けるために何の罪もない高校生を誘拐し、さらに人を一人撃ったりするだろうか? そこまでして告発されたくない理由の背後に、いったい何があるのだろうか?
 バイクは夜道を疾走する。振り落とされないようにしがみつきながら、それでもこんなことを考えている僕は、案外天然なのだろうか?
「このままなの?」
 大林さんが叫ぶ。僕は手にしているGPS発進機に目を落とす。真っ直ぐ走ってはいるが、スピードを落としているような気がする……
「真っ直ぐ」
「巻き込んで悪かったわね、良一君」
 だったらここで下ろしてよと言えないのが、僕の人付き合いのよさの現れ。ま、お人好しと言われても反論できないな。
「撃たれた人、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫よ。この商売していたら、誰でも一度や二度は撃たれるわよ。あたしだって二度撃たれたことあるもの」
「えっ!」
 そんな危険な職業の人が、一般人を巻き込んじゃっていいんですか?
 そんな僕の心中を読み取ったかのように、大林さんは言葉を重ねた。
「この国はね、君が思っている程平和でもないのよ。ましてや絶対の安全を保証できる国は、世界中のどこを捜してもないわ」
「……稲元攫った奴らは、なんで稲元を……いや、稲元を攫ってまで、稲元のじいちゃんに告発を止めさせたいのはなぜ?」
「国益を損ねるのよ……告発しないのも、されるのも、ね……」
 それっていったいどういう意味と問おうとしたところで、発進機の光点は左折した。この先にあるものは……
「次の道左折。多分廃工場地帯じゃないかな?」
「なるほどね……飛ばすわよ」
 くんと体がのけ反るような引力に、負けないように体勢を前に倒す。
 国益を損ねる……
 それはつまり……稲元のじいちゃんが告発することは正しくとも、日本国として他国に知られたくない事柄だということだ。
 他国……少なくとも日本を含めた二ヶ国ということだ。
 まいったぞ……
 仮にその国をA国としよう。
 赤翼会はそのA国に収賄を受けていた。元が左翼だ。日本国としては、赤翼会もそのA国も容認できない。しかしことがデリケートだ。万引き犯を警察に突き出すようにはいかない。そこであえて黙認していた……いざというときは、それを切り札にA国に対する外交を有利に進めるため。つまりこれは外交カードだったんだ、きっと。だが稲元のじいちゃんは、日本国政府が黙認していることを知らずに、それを知ってしまった。そして告発できる準備を整えた。だが今度は赤翼会も、稲元のじいちゃんの動きに気付いてしまった。稲元のじいちゃんは政治家だ。その背後に国家があると勘ぐった赤翼会は、早まってしまった?
 いや、違う。
 きっとあの手この手で、稲元のじいちゃんに脅しをかけたに違いない。だから稲元のじいちゃんは孫の稲元に危険が振りかからぬよう、美佐子さんに国外脱出を依頼したんだ。
 だが赤翼会が考えていた以上に早く動いてしまったため、この事件が引き起こされたんだ。
「なるほどね……」
「えっ?」
 思わず呟いた独り言だったが、僕は自分でそれを否定した。
「なんでもないです」
 大林さんはそれ以上の追及をせず、バイクを走らせることに専念した。
 僕の思考は再び事件の真相に沈む。
 黙認するはずの日本国政府は、その水面下でのどたばた劇に慌てた。この問題は、一政治家が関わっていいレベルではない。一人の人間が責任を取れるような、そんな安易な問題ではないのだ。
 だがこのことまで、黙認するわけにはいかなくなった。赤翼会の先走った行動のおかげで、日本国政府としても、動かざるを得ない状況に追い込まれていた。このまま無視を決め込んだのでは、これ幸いとばかりにA国は赤翼会を捨て駒にするだろう。そうすればせっかく暖めてきた外交カードは、まるで万馬券を失うようなものだ。
 そこで日本国政府の取る決断は、迅速に決められた。告発を阻止すると同時に、その外交カードを一気に使いきるのだ。
「……」
 そのために実働部隊として駆り出されたのが、大林さん……
 あとはもう想像つくよね?
「待って! スピード落として!」
「止まったの?」
「ゆっくりになった……」
 僕があれやこれやと思案している間に、バイクはあっさりと街中を駆け抜けていた。振り返れば街の明かりが遠くなっている。
「右折して……止まった」
「OK……美佐子に連絡して」
 バイクは止まった。僕は後部座席から降りて、携帯に手を伸ばす。その時になってようやく、ハンドフリーのトランシーバーをしていたことに気づくが、有効範囲はとっくに離れただろう。
 僕は携帯のメモリーで美佐子さんに電話をした。いつでも連絡がきてもいいように、待っていたのだろう。コールが一回で美佐子さんは応答した。
『もしもし?』
「今、○○○丁の廃工場地帯だよ」
『わかった。近いからすぐ行くわ。早苗は?』
「いるよ。かわろうか?」
『えぇ』
 僕は大林さんに携帯を差し出した。すぐに意図を察して大林さんは美佐子さんと何やら話し込むが、それも手短に終わった。通話は切られて、僕に携帯が返された。

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