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2024/03/31 平成バブルメモリアルに至る病

 からかわれて傷つきながら育つ、その意味が分からない人には例えば「プベルル酸!」と行く先々ですれ違いに囃し立てられる苦痛を思えばいい。

 先生からも最悪、君の性格(今でいう発達特性)のせいだよ、からかわれて更にいじめ抜かれるのは、と役人ばりの態度で接せられたこともある。

 それ以来、私は誰も信じられなかった。たとえそれが仕事で不在がちの父であっても。

 挙げ句の果てには私を人間としてみなさず、友達同士で集まってもボコられる対象だった。そんな奴に遊び方や働き口や結婚相手の紹介なんかできるか?

 近づいてきた民青の仲間達だけは、それまで私につきまとってきていた不良グループを差し置いて私を助けてくれた。だが高校、大学と進むにつれ主義主張がすれ違い別れた。

 そんなこんなで故郷を追われおまけにトップが交代した後、ブラック化した職場のパワハラの連続によって、精神障害まで負い、二十年近く勤めた前職も追われた。何の実りもなく。

 彼らすれ違ってきた者達よりも孤独の実感は深く刷り込まれていると思う。たとえ大勢に看取られようが独り孤独死しようが、その人は生前に功徳を積む生き方に気づいていただろうか?

 これが、私の院卒以来「失われた三十年」の軌跡である。父が恐れたオーバードクターのほうがまだマシだったかもしれない。このあいだのゼミ同窓会で顔を合わせて尚更そう思った。

2024/03/31 ここまで

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