見出し画像

短編【Happy Birthday】小説


「だから私、言ってやったのよ。アンタなんか私が居なかったら今頃、野たれ死んでるのよ!って」
四十を過ぎても三十代前半に見える狭山さやま陽子ようこはガーデンチェアに座り自慢の美脚を組んで悪態をつく。

「そんなコト言ったのか、お前」
陽子の兄の西宮にしみや義博よしひろがワイングラスをテーブルに置きながら言う。義博よしひろは五十手前だが独身で最近、郊外に庭付き一戸建てを購入した。今からその自慢の庭で、ささやかなあるお祝いをしようとしている。

「言ったわよ。最近イライラするのアノ人見てると」
「そう言うなよ。いい人じゃないか、じゅんくんは」
義博よしひろはワイングラスを白いガーデンテーブルに並べ終えるて椅子に座って陽子ようこの愚痴を聞く。義博は職業柄、その愚痴の奥底に隠された心理を読みとろうとしてしまう。

「いい人よ!いい人!ホントにいい人、ただ、それだけの人!あーあ、失敗しちゃったなー!結婚!先に飲んじゃっていい?」
「皆んなが集まってからだ。それまで我慢しろ」

陽子はガーデンテーブルの中央にあるステンレスのワインクーラーからワイン瓶を引き抜こうとするのを義博に止められる。陽子はしぶしぶ手を引っ込めてしみじみ言う。

「幸せってなんだろ…。お兄ちゃん、幸せって何なんだろうね」
「お前は十分しあわせだろ。立派なマンションに住んで、でっかい犬まで飼ってもらえて」
「そう言う事じゃないの。私が求めている幸せは」
「幸せとは……想像力の方向性の事である」
「ん?」
「幸せとは想像力という名の『手の平』の事であり、不幸せとは想像力という名の『手の甲』の事である。幸せになりたければ、不幸せをひっくり返せばいい」
と言い、義博は突き出した手の甲を、くるっと裏返した。

「誰の名言?」
「俺の名言」
「そんな単純な事で幸せになれたら苦労しないよー」
と陽子は義博の手の平をはたく。

「そんな単純な事が出来ないから不幸になるんだよ。いいか、不幸の中身は複雑に出来てる。だけど幸福は単純に出来てるんだよ。ネガティブな人間って言うのはね、頭がいいの。だから単純な事を複雑に考えて脳味噌が息苦しくなるんだよ。ポジティブ思考で成功している人間の根本はネガティブなんだよ。ただ、幸福か不幸かという問題に関しては、知性のレベルを下げて考えてるだけ」
「知性のレベルを下げる?」
「そう。複雑な事を考える事ができるんだから、単純に考えるなんて簡単だろ。ちょっとだけ馬鹿になれ。嫌なことが有っても『それもアリかもね~アハハ!』程度に考えろ。それが幸せの第一歩」
「さすが精神科医。言うことが違うね。『それもアリかもね~アハハ』ねぇ。無理。私はそんな馬鹿になれない。そう言えば今日で母さん幾つになるんだっけ?」
「七十。古稀だよ」
「え?古稀?だったら会場借りて盛大にやればいいのに」
「馬鹿。出来るわけないだろ」

そこへ、二人の弟、西宮にしみやりょうがやってくる。

「あれ?二人だけ?ひとみはまだ来てないの?」
「遅れるって、さっき連絡あった」
「あ、そう。そういえば兄貴、瞳、何処に旅行したか知ってる?」
「旅行?瞳が?」
「あれ?知らないの?姉ちゃんは?」
「知らない」
「この前、母さんの誕生会の連絡をラインでしたんだよ、瞳に。そしたら朝の5時に折り返しの電話があってさ。海外旅行してるみたいで」
「海外?誰と?男?」
陽子が身を乗り出して聞く。

「うん。なんかね、男と行ってるっぽかったんだよねぇ」
「男?あいつ彼氏いるのか」
「そりゃ居るでしょう」
義博が少し驚いて聞き返し陽子は冷静に答える。

「で、電話で『重大発表をするから楽しみにしてて』って」
「重大発表」
「もしかして結婚じゃないの?」
「 俺もそう思った」
「ちょっと亮。あんた、また太ったんじゃないの?」

三人のやり取りの最中、義博の携帯電話が鳴る。義博は携帯電話の着信表示を見て席を外し陽子と亮から少し距離を取って電話に出る。陽子と亮はとくに気にせず話を続ける。

「太ってないよ。久しぶりに会って、すぐそういう事言う。姉ちゃんってさぁ、デリカシーないよね。なんでいつも上から目線なの?」
「姉ちゃんだからでしょうが」
「俺だけじゃなくて誰にでも目線が高いでしょ。しかも攻撃的だし。じゅんさん、よく我慢できるよな。お姉ちゃん、旦那さん尻に敷き過ぎだよ」
「私のお尻が乗っかってるだけでも幸せでしょ」
「わお!出た高飛車発言」
「どっかに新しい、ふっかふか座布団ないかなぁ」
「そんな事ばっかり言ってると捨てられるよホントに」
「冗談でしょ。私が捨てる事は有っても、その逆は無い無い」

一方、博敏は携帯電話で話をしている。

「はい。三条さんじょうさん?どうしました。いえいえ、大丈夫ですよ。あ、ちょっと待ってくださいね」
携帯電話を右耳と右肩に挟んでスケジュール帳を義博は取り出して話を続ける。

「ええと、来月の?水曜?大丈夫ですよ。じゃあ午後から…え?え!!やっちゃたの!いや、いいんですよ。いいんです。ただ、その前に相談が欲しかったなーって。はい。はい。じゃあ、詳しい事はカウンセリング室で…ええ!オッパイも!ああ、失礼。胸もやっちゃったんですか。いやいや、いいんです勿論。ただ、その前に相談が欲しかったなーって。わっかりましたー。それじゃあ、来月の水曜、午後三時ですね。はい。お待ちしています。それじゃ」
「なによ、おっぱいって。お兄ちゃん、昼間っから何しようとしてるの?」
途中から義博の会話を聞いていた陽子がからかって言う。

「え?ああ、違う違う。今の患者さん。カウンセリングの予約の電話」
「えー。精神科医ってオッパイの相談にも乗るの?」
亮も一緒にからかう。

「おっぱいの相談じゃなくて、心の相談だよ。まいったなぁー。やっちゃったかぁ…。」
「え?やっちゃったって何よ?」
「守秘義務があるから、言えないよ。…そうかぁー。やっちゃったかぁ」
「ちょっとくらい教えてよ。何したの?」
「だから、守秘義務があるから言えないって。いやぁ、まいった。やっちゃったかぁ」
「ねぇ。言えないんだったらヨソでやってくれる?すごく気になるんだけど」
「兄貴」
「なんだ」
「レクサス貸して欲しいんだけど」
「頼むにしてもある、このタイミングではないだろ。そして答えはダメ、だ」

亮は友人たちと湘南の海に行く計画をしていて、そのために義博のレクサスRCを借りたいと思っていた。

「お願い!」
「嫌だ。事故りそうな気がする」
「じゃあ!いいよ!兄貴、ケーキは?」
「要らないだろ」
「要るでしょ!誕生会だよ?ケーキを用しないなんて信じられない!」

亮は本当はケーキなんてどうでも良くて、レクサスを貸してくれない兄に対して文句をつけたいだけだった。亮はそういう子供じみたことをよくする。

「誕生会ではない。ささやかながら母さんの古稀を祝う会、だ」
「いやいや、ケーキは有るべきだ。母さん、甘いの好きなんだから。瞳にラインするよ。途中で買ってくるように、って」

噂をすれば何とやらでタイミングよく西宮にしみやひとみがやってきた。

「ごめーん。遅れたー。もう始まってる?」
「瞳!」
「ん?」
「ケーキ買って来い!」
「はぁ?」
「走れ!」
「なんで!」
「いいよ、いいよ。座れ、瞳」
と義博が座るように促す。

「え?もしかして買ってないの?ケーキ。今日、お誕生会でしょ?お母さんの」
「お誕生会ではない。ささやかながら母さんの古稀を祝う会。だ。」
「じゃあ、もういいよケーキは。瞳、出せ、お土産」
「お土産?何の」
「お前、海外旅行に行ったんだろ?どうせ、小洒落た焼き菓子でも買ってきたんだろ?ケーキの代わりにするから出せよ」
「買ってないよ、お土産。」
「え!行ったんだろ?旅行に」
「行ったよパリに。なに怒ってるの?」

パリと聞いて陽子が口を開く。
「え?パリ?私も来週行く予定」
「そうなの?流行ってるの?パリ旅行」
「陽子、お前一人で行くのか?」
「なんで一人なのよ。旦那と行くの」
「なんだよ。散々文句言っといて、仲良いじゃないか」
「なんか乗り気しないのよねぇ。今まで、旅行なんか一回も行った事ないのに。急に、行こうって言われて。もしかしたら殺されるかも」
「お前なぁ」
「はぁ、お母さんの言う通りにしとけば良かった」
「母さん、お姉ちゃんの結婚に反対だったもんね」
「反対してた訳じゃないだろ。心配してただけだ。政治家の嫁になる事に」
義博が訂正する。

「政治家じゃなくて、政治家の秘書ね、秘書」
「でも、いずれは選挙に出るんだろ?淳くん」
「どうかなぁ。そんな野心無いみたいだし。『僕はナンバーツーの黒田官兵衛』が口癖だし。あの人が出馬したとしても、私は一票も入れないけど」
「まぁた、そんな事ゆう!」
瞳がそう言うと、ずっと黙っていた亮が急に口を挟んだ。

「おい!瞳!お前、正気か?」
「何が」
「信じられない!もう一度聞くが、正気か?」
「だから何?」
「旅行に行って、土産も買わずに手ぶらで帰って来るって、正気か?」
「もう!ゴメンってば!それどころじゃなかったんだから」
「もう、いいだろ!全員揃ったから始めるぞ」

義博は立ち上がって五個のグラスにワインを注ぐ。母親が居るべき席のグラスにも注ぐが、そこに母親は座っていない。

「母さん、母さんが天国に行って今日で丁度六年になるけど、母さんの古稀祝いをしようと思います。命日と誕生日が一緒なんだから、いいよね?母さんが女手ひとつで育ててきた四人兄弟も、なんとか仲良くやっています。思い起こせば六年前の母さんの誕生日に」
「長い長い長い!思い起こすな」
亮が義博の言葉を止めると、陽子と瞳が声を揃えて
「お母さん、誕生日おめでとー!」

と言って互いのワイングラスを軽く当てる。

「おいおいおい!挨拶がまだだ!昨日、寝ないで考えたんだからな!」
「いいから、いいから座って!」

四人の大人たちが子供のようにわいわい賑やかに母の命日を祝っている。それぞれがどんな人生を歩むのか。それはまた、別の話。



⇩⇩別の視点の物語⇩⇩

マイ・フェラ・レディ

リボンの騎士

パリの痴話喧嘩

私はピアノ






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?