後悔だらけの中年マン

後悔ばかりの人生を生きるどうしようもない中年男性の日記です。亡くした母が残した日記を読…

後悔だらけの中年マン

後悔ばかりの人生を生きるどうしようもない中年男性の日記です。亡くした母が残した日記を読みながら、正直な気持ちを書いていきたいと思います。 昔から友達がいなくてサッカーの事について下手な文章を少しですが書いていたので、その文章には(過去の自分)と書いてnoteに載せたいと思います。

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登場人物(母の日記)

〇〇:私。現在39歳。母を26歳のときに亡くす。 母:私の母。生前に愛犬のソラに話しかけるように日記を書いていた。 ソラ:母が本当に大好きだった愛犬。私が23歳の頃に病死。 △△:私の兄。兄なので言いづらいが、私と同じくしっかりとしているとは言い難い兄。 ■■:私の姉。私の兄弟の中で1番しっかりとしている。結婚をして子供も2人いる。 ◆◆さん:私の祖母。日記内では施設に入所している。母が亡くなった約半年後に他界。 夫:私の父。母が日記で夫と記載している。母が言うこ

    • 一昨日の出来事(2月28日)

       昨日書いた文章が長くなりすぎたため、2月28日にあったことは今日記載させていただきたいと思う。  約3週間前に父と大喧嘩をし「もう来ない」と、言い残し実家を出た私。  2月28日に、私の家の経理を手伝ってくれている方と一緒に実家へ訪問した。  経理の方に同行していただいた理由は、父と2人だけで会話するのでは彼がただ感情的になることが容易に予想がつくからだ。  私が腹を立てた理由を説明し「このまま、おれを切って1人になったら誰も助けてくれる人いないよ」と、伝えた。  

      • 2月28日の出来事

         本日のnoteの投稿は、昨日2月28日の私の出来事を書きたいと思う。  が、その前に書かなければいけないことがある。  約3週間前、父と大喧嘩をして「もう来ない」という言葉を残して実家から帰った。  私の実家では月に1度だが、私と父と実家の経理を手伝ってくれている方の3人で集まり、父の生活費や色々な支払い等の計算を行っている。  そして、父と私の2人で銀行に行き、振り込みや引き出しを済ませてから昼ご飯を食べてから実家に帰る。  そんなことを月に1度行うのだが、大喧

        • とある10月10日晴れ(母の日記)

          ■■(※私の姉)すぎ来る 姉熱が下がったよう。 私はお腹がはって 体重も増えてどうなったのか? 夫は午後買い物をして 4時すぎ飲み会へ出る それから〇〇と買い物をして△△(※私の兄)の ところへ届ける 久しぶりに〇〇と2人でビールを飲んでゆっくり ソラ 遠くにいっちゃって 虹の橋をこえて  以上が、とある10月10日の母の日記だ。  母の体調に異常がかなりみられる。本当に我慢して普通に生活を送り心配をかけないようにしていたのだ、と思う。  この日は、姉の上の子が熱が下が

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        登場人物(母の日記)

          とある9月30日晴れ時々曇り

          午前中実家へ お昼近く姉さんと実家の兄帰宅でも又出掛ける 話も出来ず 午後銀行 スーパー ■■(※私の姉) 皮膚科の帰り寄る でもすぐ帰る 夫午後から1日家にいる 自分のこれからをどうしていくのか考えて 〇〇(※私) 仕事に出す 私は余り ソラはどう思う? 散歩今の時期1番だよね 考えることばかり  以上が、とある9月30日の母の日記だ。  私の母は高校生のときに父と母を病気で亡くし、母にとって叔父と叔母にあたる家に引き取られた。  その家を母は実家と呼んでいる。  母

          とある9月30日晴れ時々曇り

          とある8月13日雨のち曇り(母の日記)

          午前中はずうっと家 ■■(※私の姉)お昼来る 午後1時お墓へ そしてスーパーへ 〇〇(※私)に頼み △△(※私の兄)に少し届けてもらう ごめんね。 家に来たいだろうに 1人で みんなどうしたら? ソラ どうしたらいいのでしょう?  以上がとある8月13日お盆の母の日記だ。  私の兄は私と10歳ほど年が離れており、私が中学あたりの頃に父と喧嘩をして実家を出て行った。  高校の時は、兄に時々遊びやご飯に連れて行ってもらうこともあり、働いて普通にアパートを借りて1人暮らしをし

          とある8月13日雨のち曇り(母の日記)

          とある9月8日雨朝方のち晴れ(母の日記)

          〇〇(※私)やはり面接だめ 私もショック ◆◆さん(※私の祖母)へ ◆◆さんはニコニコ 夫また車の事考え 支払いをどう考えて 〇〇(※私)がんばれ ソラも応援して  以上がとある9月8日の母の日記だ。  このとき、祖母は認知症で施設に入所しており、母は頻繁に会いに行っていた。    祖母が認知症になる前、実家で一緒に住んでいたのだが、父は母、家族だけでなく祖母にも高圧的な態度をとっていたのを覚えている。  食事中にテーブルの上で小鉢を祖母が箸でスーッと自分のところへ持っ

          とある9月8日雨朝方のち晴れ(母の日記)

          左サイドバックのゲームメーカー(過去の自分)

          左サイドでボールを持ったその選手は、近くに寄ってきた味方選手にパスを出し中央へ侵入する。そして、リターンパスをもらうと右サイドへボールを展開する。 相手選手は、そのパスに釣られ守備のポジションを移動する。味方選手は、そんな相手を見ながら穴を見つけて動き直し穴を突くための攻めのポジションをとる。 相手選手を翻弄し、味方選手をもコントロールするプレーは、遠藤保仁や中村憲剛等、ゲームを作る選手がするプレーだ。 かといって、その選手は時に縦へ突破してクロスを上げるプレーを

          左サイドバックのゲームメーカー(過去の自分)

          とある9月13日くもり時々雨(母の日記)

           9時30分おみやげを◆◆さん(※私の祖母の友達)にあげる  そして午後スーパーで果物を買ってケーキまで  帰ってきて車屋さんの悪口  いったい何?  500万以上の車は買わない?  700万近い車を買って  もののわからない人。  1回言ってた事がちょくちょく変わる  何を言ってるの?  ソラ、そう思うでしょう?  以上がとある9月13日の母が書いた日記の内容だ。  今回は私の名前は一切なかった。ちょっと寂しい。  ほぼすべて母の夫であり、私の父の愚痴をソラに聞かせて

          とある9月13日くもり時々雨(母の日記)

          とある8月12日くもり(母の日記)

           午前中〇〇(※私)とスーパー、デパートへ  夫は不満顔  夫はそして整骨院  ■■(※私の姉)病院へ 皮膚科そして寄る  3時半すぎ帰る  とにかく疲れます としのせい  ねむいです  身体もどうにかなって  ソラ ゆっくりゆっくりしたいね。    以上がとある8月12日に母が書いた日記だ。  私と買い物に出掛けたことを書いていた。私は父と一緒に出掛けるということを拒絶しており、少し無理やり母と買い物に行ったのだろう。  そして、父は仲間外れ感により不満顔だったのでは

          とある8月12日くもり(母の日記)

          とある8月31日くもりのち雨(母の日記)

           朝から〇〇(※私)を連れて銀行へ。〇〇の定期を使う。◆◆さん(※私の祖母)〇〇ごめんなさい  ■■(※私の姉)お昼来る  夫午後ゴルフの打ちっぱなし  〇〇についつい愚痴ばかり  ソラ(母が大好きだった愛犬)がいたら愚痴をこぼせるのに  支払いはどう思ってるの?  以上がとある8月31日の母の日記だ。  今思い返すと、結局、支払いのほうが大きくなっており、私のために祖母が昔から貯めていてくれた定期預金を崩し支払いに回すこともあった。    私が働いて作ったわけでもないお

          とある8月31日くもりのち雨(母の日記)

          ヒーロー(過去の自分)

          ヒーロー。 過去を振り返ると、私は1994年のワールドカップのブラジル代表レオナルドがサッカーが大好きになる入り口だった。そして、Jリーグを観戦するようになった。 当時ヴェルディ川崎がとてつもない人気を誇っていた。 私はヴェルディ川崎の背番号11のユニフォームを着て得意のまたぎフェイント、対峙した相手を抜き去る姿に私は釘付けになる。 キングカズ。 その姿は私にとってヒーローだった。 自分の頭の中で、日本のワールドカップ初出場までの道程の主人公になっていった。 月日は

          ヒーロー(過去の自分)

          登場人物(母の日記)

          〇〇:私。現在39歳。母を26歳のときに亡くす。 母:私の母。生前に愛犬のソラに話しかけるように日記を書いていた。 ソラ:母が本当に大好きだった愛犬。私が23歳の頃に病死。 △△:私の兄。兄なので言いづらいが、私と同じくしっかりとしているとは言い難い兄。 ■■:私の姉。私の兄弟の中で1番しっかりとしている。結婚をして子供も2人いる。 ◆◆さん:私の祖母。日記内では施設に入所している。母が亡くなった約半年後に他界。 夫:私の父。母が日記で夫と記載している。母が言うこ

          登場人物(母の日記)

          これからnoteをはじめる上で

           私は現在39歳。独身。友達もいない。今まで1つの職業に長く務めたことがない。正社員としては最長で約4年勤務した程度。少し前に派遣で新しい職場に勤めた。体調が悪い。頭が回らない。そして今になって精神科にて適応障害の診断が下された。  また仕事を辞めてしまった。  勉強も嫌いで1つのことを長く続けられなかった自分は同年代の人間に比べて劣っている部分が多い。本当に情けない。  世の中には適応障害と診断されても頑張っている人はたくさんいる。  それを理解しているのに逃げてし

          これからnoteをはじめる上で