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黒の上だと色が美しく見える

黒い服しか着られなかった。

衣替えかな…なんて思いながら服を整理していたら床一面、黒の服だらけになってしまって、あらためてそのことを実感する。

いまでこそ悪い感情をもっていないけれど、昔は目立つ資格なんてないと、服だけでなく靴も筆箱も、何もかも黒のものを使った。

始まりは中学生のころ。中学受験のおかげでできた東京の友達と、初めて遊んだときのことだ。場所は全員がわかりやすい、学校の最寄り。友達と遊ぶなんて何か月ぶりだろう、それも東京で。はやる気持ちに浮かれながら、待ち合わせの時間。やってきた友達は、こんなにおもしろいことはないという様子で笑いをこらえ言った。

「お前、服のセンスなさすぎ」

何かがガシャンと壊れた、気がした。瞬間、すべてが恥ずかしくなって耐えられなくなった。それまでの浮かれ具合、ダサい服で立っていたこと、いま目の前の友達に馬鹿にされていること。そのあとのことは覚えていない。少なくてもショッキングな出来事だったのは間違いない。それから学校ではセンスがないとどこまでもバカにされた。それはもう、執拗に。どうにかしようと洋服を買いに行っても何を買えばいいのかわからない。とにかく目立たない、地味な服を。どれだ、どこに、これでも、これでもない。もっと地味な服を買わなきゃ。そうして何年も過ごすうちに気づけば服も、持ち物でさえ黒ばかりになっていた。

 黒ばかりの生活は当時の低空飛行な生活に、よく馴染んだ。「なんでそんなに黒を着るの?」と理由を聞かれればこう答えた。

「黒くないと落ち着かないんだ。センスがなくて、オシャレも他のことも、目立つ資格なんてないから」

いつの間にか黒はセンスの無さから、自信の無さの象徴となっていた。重く濁った、陰の色。自分なんかが他の色は身に着けられない、居場所もない。そんな日々を変えたのは、たまたま行った美術館で見た言葉。

「黒の上だと色が美しく見える」

絵本作家で知られる、レオ・レオーニが伯父に言われた言葉だそうだ。一目見ただけで10年近く引きずっていた重しが、いとも簡単に外れた。

黒はそれだけでも強く、何色にも染まらないから、ほかの色を引き立たせることもできる。強く純粋な、調和の色。数十年も前に関係のない人へ当てられた一言で、自信の無さの象徴は誇れる色へと変わっていった。しっかりと自分を持って、けれど思いやりも忘れたくない。そう考えている僕に、黒はぴったりの色だったから。

いまでも黒い服が多いけれど、負い目なんて全く感じていない。どこか余裕のない、居場所がないと思っていた日々も、最近ではけっこう楽しめている。過去は変えられないけど、過去から積み重ねてきた価値観は変えることができる。

もしどこかで中学の友達に黒を着ている理由を聞けれたら、自信に満ちた顔で言ってやろうと思う。

「黒の上だと色が美しく見えるんだよ」と。

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