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映画『ラーゲリより愛を込めて』は、壮大なコンサルティングサービスだ

「おじいさん、挨拶が遅くなりました、小梅ちゃんと結婚した◯◯です」
結婚して6年以上経って初めて、私は夫を祖父のお墓へ案内した。これは、その時お墓に向かって夫が発した最初の言葉だ。

この出来事の伏線は、1年前にあった。

2023年1月。
朝、雨が降っていた。1人で映画館に行くのが好きな私は、その日、『ラーゲリより愛を込めて』を観た。涙など色々なものを堪えながら観た。終わったら昼になっていた。建物の外に出ると、雨はあがって晴れていた。眩しいほどの青空を眺めながら自分の車に辿り着いたら、堪えていたものが溢れ出して過呼吸になった。初めてのことだった。落ち着くまで車内で横になってから、帰宅した。全身のDNAが震えて、螺旋構造が外れそうになり、その日は1日中、体力を消耗しきっていた。

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『ラーゲリより愛を込めて』は、戦後シベリア強制収容所に抑留された捕虜が、仲間を励ましながら日本へ帰国する希望を持ち続け、妻も信じて待っていたという内容の映画だ。簡潔にまとめすぎて、良さが何も伝わらないのがもどかしい。主題歌のタイトルは“遺書を見なくても言える(そらんじる)”から名付けられているらしい。エンディングで流れる曲まで含めて、是非とも観て感じていただきたい作品だ。
同じ作品を鑑賞した方と話すと、「泣きすぎて頭痛がした」「しばらく体の力が抜けた」など、物語の感想よりも先に体の反応についてしばらく語り合うことになる。そんな作品は初めてだった。
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冒頭のお墓に眠っている私の祖父は、シベリアから生きて日本へ帰国した。祖父から、シベリア抑留について何ひとつ聞いたことはない。ただ、朝鮮人を大切にしなさいということだけ聞いたことがある。どこで何があったのかは、分からない。
私が6歳の時に亡くなった祖父は、祖母にも母にもシベリアでの経験を語らなかったらしい。おじいちゃんが語ろうとしなかった時間から続いて今がある。映画の後、今ここにいる自分とそれまで受け継がれてきたものに思いを馳せたら、涙が止まらなくなり全身が震えたのだった。

祖父のお墓へ行くには、最短で片道6時間半かかる。親族関係が少し複雑で、お墓を守っているのは知らない人だ。時間もお金もかかるので、社会人になってからは、お墓方面に行く用事のついででしかお墓参りしていなかった。コロナ禍で友人の結婚式などもなく『ついで』の機会がなかったから、最後にお墓参りしたのは2019年4月だった。『ラーゲリより愛を込めて』を観た2023年1月、遠くないうちにお墓参りに行こうと心に決めた。

その時に夫に「一緒にお墓参りに行く?」と聞いてみたが、辞めておくという返事だった。夫は、2連休を取りたいとは言い出しづらい環境で働いている。2人で行くことは早々に諦め、1人分の交通機関とホテルを予約した。

2023年4月。
「行ってらっしゃい、おじいさんによろしく」と、夫に送り出してもらった。
私1人で土曜にお墓参りをした。少し雨が降っていて、風も吹いていた。残り少ない桜の花びらが、風で舞っていた。霊園の樹木のボリュームが、4年前よりも増しているように感じた。母と夫に見せるために、霊園やお墓の写真を何枚か撮影した。
日曜は友人の赤ちゃんに初対面してから帰ってきた。そして日常に戻った。あまりうまく回らない日常だったが、私なりに全力で過ごした。

2023年10月。
お金はもちろん大切だが、お金よりも大切なものがある。そんな当たり前のことに気付かされる出来事が、いくつか目の前に現れた。端的に言うと、仕事に向かおうとすることを体が拒絶するようになり、休職することになった。

……仕事を休み、自分を大切にすることを蔑ろにして生きてきたことに、ようやく気づき始めた。お給料をいただくからには精一杯、無理してでも頑張って働くものだと思っていた。通帳に少し貯金が残っていないと、未来が不安だと思い込んでいた。
そして、夫をお墓参りに連れていき、おじいちゃんに紹介しようと思いながらも何年も実現しなかった理由にも、やっと気づいた。
夫に連休がなくても、やろうと思えばお墓参りは、できるのだ。もちろん、身体への負担が大きいスケジュールになる。ただ、この計画を組まずにいたのは、身体負担よりもコストを気にしていたからだった。『お墓参りだけしてとんぼ返りする日程では、交通費と往復する時間がもったいない』から、やろうとしていなかった。その考えのままだと、ずっと先まで一緒にお墓参りすることが叶わない。

2023年12月。
夫婦でお墓参りした。12月とは思えないほど暖かく、綺麗な青空の日だった。
無事に夫をおじいちゃんに紹介できた。
丸っこくてキュートなお墓を紹介できた。
なにより、階段を登り降りするような場面も含めて、お墓参りの時間が楽しかった。
夫は、写真を何枚も撮影していた。
なかなかの強行軍を終え、日常に戻った。

帰宅してからしばらく経ち、お墓と私が一緒に収まった写真の何枚かに、虹のような形の緑色っぽい光が、太く写り込んでいることに気づいた。なんだか綺麗で神秘的だなと思った。
写真を夫婦で見ながら、
「おじいちゃんが、お線香の煙にむせて、お墓から出てきたのかもね」
「霊園の事務所で買ったお線香全部を1回で使い切ろうとするのは、やりすぎだったかもね」
「煙にむせて出てきたのだとしても、きっとおじいちゃん、喜んでいるよね」
そんな会話を、している。
なんだか、おじいちゃんに見守られている感覚がある。

『ラーゲリより愛を込めて』で全身が震えてから、1年。映画の主題歌を聞くと、身体の中の小さな1つ1つが全て揺れた感覚を思い出す。私は映画をキッカケに、4年間行っていなかったお墓参りを9か月の内に2回し、お金に固執している自分に気付くことができたようだ。

映画『ラーゲリより愛を込めて』は、壮大なコンサルティングサービスだ。もうこの世にいない祖父が現れ、本当に大切なものに気づくキッカケを与えられ、向かうべき方向に導かれた。

夫とお墓参りに行くことは不可能ではないと分かったので、また一緒に行くようにしたいし、今度は夫と映画を観ようと思う。1年前よりちょっと成長した私たちに、祖父たちがまた何か気づかせてくれる気がする。

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