問い掛け-19<友達の夭逝>

※「K君」と「k君」は別人です。本人の書き方そのままにしてあります。

<友達の夭逝>

 四年生の頃からは特に上級生とも仲が良く、六年生と遊んでいた。その一人は博士と異名を取る医者の息子、K君。もう一人は、足の悪い身障者のk君だった。Y君のお父さんと養父がひょんなことで家族同志の付き合いが始まり、k君の存在を知ることになった。彼は、漢字をよく覚える努力家で秀才だった。

一方、博士ことK君との出逢いは、図書室で海洋生物の本を広げてたのがキッカケで仲良くなり、殆んど毎日、遊ぶ程になった。 K君は、同級生と話しても余り面白くないと本音をハッキリ述べる子で、何事も論理的かつ冷静に簡ることのできる、少し大人びた少年で、一見するとハーフと紛うほど日本人離れした顔付きだった。

 なぜ下級生の私と一緒に遊ぶのかと詰め寄ったことがあった。彼に言わせると、外の言葉の重み、そして目には見えぬ心理的な変化を人に与える何かが君に有るのだと、何だかよく分からない理由をブツブツ言っていたがよく判らなかった。私の得た印象は互いが興味を持ち、飽くこと無く付き合える友達だった。唯、それに尽きるのではないかと思う。

 一方、私のK君への関心は、その大人びた博識、何事も分析し、決して感情に陥る行動が無く、他の友達には無いものを感じ取ったからとしか表現のしようがない。

 換言するなら、同い年の友人たちは、それぞれの持つ個性で自分を精一杯表現しているかのように見えるが、真実、その背景には必ず過去の原体験や家庭内に潜む多くのファクターが射影され、日々、移り変わり、それらが一つ一つ感情の色彩となってオーラに顧われていた。私には何故か、その頃から色として友人の感情が透けて視えた。それが一人ひとり毎日変化して視えるから不思議だった。

 今、思い返すと、多分交通事故に遭ってからだと思う。人の頭部全体に陰のように光輝く様々な色がハッキリ視えるようになったのは・・・・

 当時は、その名称を知らなかった。中学になって初めてそれが気の一種であるオーラであることが判かった。勿論、養母に、そのことを相談すると、

「昔から子供にはよく視えるもんじゃよ。それは透視で、霊魂も視えるもんじゃよ。やっぱりそうかね。もう一明も視えるようになったんじゃな。」

と言われたので、胸の裡で

「なあんだ。子供は殆んど見ているものなのか。」

と少しガッカリした。しかし、後日、養母から、

「あんまり人には言わん方がええじゃろうな。」

と注意を促されたので、それ以降、気のおける友達以外、告白することはなかった。

 個々人の発するオーラのサイン(色)を感受できるのが楽しかった。また、自然にその場を和ませようとする為、奇矯な振る舞いをしたり、ときには家にまで遊びに行き、その子が本来の状態に戻るのを確認してから安堵する。そんな幸福な気分に浸れる毎日であれば、もう充分だなと考えていた。それがひとつの使命とは思わない。ただ、友達の明るい笑顔が見たかったからだ。明るく綺麗なオーラを視て、愉快な、そして豊かな雰囲気を味わえたら良い。それだけだった。

 しかし、K君は別で、オーラの色に殆んど変化がなく、いつも一定で感情の起伏も少なく、そもそも陰がなかった。

 だから興味以上に惹きつけられる特別な友達であり、最も話せる友だと感じることができた。ところがK君。全く霊魂やオーラを信じようとしない。否、本当は信じたいのだが、当時は頭の中で充分整理がつかず迷っていたのではないかと思う。いずれにしろ、彼との討論は尽きることなく、毎日の時間が短くもどかしく感じたものだった。

 本来なら小学四年や六年と云えば、まだまだ遊び盛り、外で走り廻っていても可笑しくない年頃だが、どういう訳か、この頃から人と話し議論を重ねることに興味を覚えてしまった。 その相手がK君であり、k君だったからだろうか・・・・。

 私は友達を家には呼ばなかった。専ら自分から出向く事に徹していた。しかしK君だけは家に呼んだ。家の中を在りのまま見せて、付き合うことにした。勿論、K君の家にも私は歓待され家族と親しくさせて貰った。又、K君の信条は、貧困の差、身分の違いについて偏見のない平等心が既に備え持っていたから驚く。確か、彼のお母さんの影響が強かったのではないかと思う。

 一方、k君は孤高な哲学者で、素直な子だった。

 動けぬ身体で、絶えず家で待つ身の彼に思いを馳せると可哀想で堪らない。彼もK君ほどではないがよく本を読んでおり、教えて貰うことが沢山あった。が、しかし、ときどき我に戻り、彼を癒すために遊びに来たのだと思い直し、愉快に振る舞い、自己の頓狂な大敗談を語り笑わせたりすることで安堵したことが何回あっただろうか。

 或る日、六年生の女の子と一緒に出向き、ユーモアあるエピソードを話しているうち佳境に入り、珍しく霊魂についてあれこれと述べている私は、彼の態度に変化が見られたので、マズイと感じたとき既に手遅れだった。彼は恐い話しが大の苦手で、夕方になり、私たちが帰る間際になると

「恐いな、夜に出ないかな、恐いなあ」

と幾度も呟いて震えていたからだ。まさか、それが彼の最期の姿になるとは、誰が予想しただろうか。

 そして数日後、養父が唐突に、

「三日前にkちゃんは風邪を拗らせて亡くなったと、さっきお父さんから連絡があったぞ、一明よ。」

と。

 返す言葉もなく、頭の中は真っ白になり、立ち竦んだまま、どうして、何故なんだと呟くのが精一杯だった。日曜・祝日を挟んでいた為、連絡が遅れたのか、しかも、三日前の夜となると、私が遊びに行った夜だ。

 風邪を拗らせた原因が、霊魂の話からではないか・・・・と思うと、否定するよりも自責の念がとめどもなく湧き上がってきた。あの日のk君は確かに風邪だった。しかし、 霊魂の話が、死ぬ程までに因果関係があろう筈がない。なんともいいようのない喪失感と 虚無感に襲われ、言葉にならなかった。

 翌日、このことをK君に告白すると彼は「君は何も悪くない。」とキッパリ。そして丁寧にその訳を説明して呉れたのだった。

 k君の葬儀は少し遅れて行われ、その後も、私は何度か彼の遺影に手を合わせに行った。一人息子を亡くした両親の顔がなによりも哀れで見るのが辛かった。この時もまた、養父はk君の両親から「一明ちゃんを養子に。」と懇願され、断ったという話を後で聞かされた。

 生まれて初めて人の死を垣間見てその悲しみ、切なさ、空虚感を知ることとなり、心に重く残る思い出になってしまった。

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続く

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