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昭和99年1月7日

地震や航空機事故などで、職務上でも、個人的にも、気が休まらない新年を迎えているが、それでも「1月7日」という日は「ああ、この日か」という気持ちになる。昭和天皇崩御の日、昭和が終わった日である。

「昭和最後の日 テレビ報道は何を伝えたか」(日本テレビ報道局 天皇取材班)を読む。今の仕事に導かれる一冊と思っている。
昭和天皇は数年前からの体調不良と治療が繰り返されていた。そして前年(昭和63年)9月「高木侍医長が、宮内庁病院に向かった!」のスクープを、夜のニュース番組「きょうの出来事 Sports&News」の中に入れ込んだところから始まる、3ヶ月半に亘る報道の動きが記されている本だ。

あの日見た景色は、とにかく記憶に残っている。

布団の中で聞いた「危篤」と「崩御」。午後、通っていた矯正歯科の帰りに入った荒川一丁目のデニーズ(数年前に閉店)では、クラシックが流れていた。帰路の車中で流れていたTBSラジオは、ニュースのアナウンサーが、番組を仕切っていて、ジングルもBGMもないまま道路交通情報が流れていたのが、妙に印象に残っていた。

この2日間のテレビ番組のタイムテーブルを「月刊民放」がまとめている。見ると、皇室関連の学者、御学友は言う迄もなく、猪瀬直樹・元東京都知事や、先頃亡くなった女優・森光子さんは、各局ゲストに引っ張りだこの様相だ。森さんは、フジテレビの特番司会も担当。前年春までは「3時のあなた」の司会を週2日担当していた。35年経って、気づくことがある。

昭和から平成へ変わる瞬間。
銀座からの生中継。ソニービルの裏路地、数寄屋橋にかかる高速道路、銀座4丁目交差点から、服部時計店に時計塔にカメラが寄る。

「世界に誇る豊かな日本が、この十字路の闇の中にあります。激動の……本当に激動の昭和に、ピリオドが打たれました」。

このコメントは、左側の本を書いた人によるものだという。

豊かな日本、この年の春に発表された、全国の1平米あたりの土地公示価格は562,579円。去年は170,443円。消費税が導入されたのも、この年の春だ。

書籍「昭和最後の日」は、数年前に新潮文庫で文庫化された。第一報の速報を伝えた「きょう出来」当時のメインキャスター・櫻井よしこさんの解説や、当時を伝えた記者のその後が記されている。そこには「水曜どうでしょう」「東京スカイツリー」という名も出てくる。

「1月7日」の記憶はあるが、翌日「1月8日」の記憶が、実はあまりない。さすがに2日間にわたる特別報道に、当時中2の僕も飽きたのだろうか。将又、翌日が学校だったからか。

そこから30年経った、2019年4月30日、私は早朝から深夜まで、テレビ局のスタジオにいた。「平成最後の日」を伝える生放送特番の全体構成をやっていた。

遡ること2016年夏、改元後上皇となった天皇陛下が「お気持ち」を述べられた時、私はこの仕事に就いて以来、生放送の番組に数多関わってきたことが脳裡を掠めた。

いろんな人のおかげで「その日は、生放送をやっていたい」の願いが叶った。現場には大切な仲間や先輩がいた。平成が終わるという気分が増したのは、スタジオで出会った人たちのせいかもしれない。

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