三冊の日記

手元に三冊の日記がある。亡き父が残したものだ。
まだ小学生だった頃の正月、父と近所の書店に行った。
僕が選んだ本と一緒に、父は一冊の日記帳を買った。
店を出ると父は言った。
「俺が死んだら読め。親父がどんなことを感じながら生きていたかわかるから」
前年、喘息発作で危篤状態になったこともあり、長く生きられないという覚悟からの言葉だったのだろう。
僕はまだ死の意味が理解できる年ではなかったから、その言葉だけが心の中に残った。その年から3年間、父は日記をつけていた。

僕にとって自慢の父親だった。Tシャツにジャケット、腹など出ていない。
シーンズにスニーカー、キャップにサングラス。
いいものを着ているわけではないが、着こなしの上手な人だった。
250のバイクに乗り、若い人とも対等に話す。
小学生の僕に麻雀や競馬、女性の扱い方を教える。
キャッチボールでは息子にキャッチャーをやらせ本気で投げ、腕相撲では僕に両手を使わせ、笑顔でひっくり返す。
なにをやっても父は真剣に僕を受け止め、跳ね返してきた。

そんな父の死はあっけなかった。
深夜に帰ってきた僕を待つように病院へ行き、意識不明になって20日後、「きりがいいから」という口癖の通り50歳で、僕の22歳最後の日に逝った。
日記のことは覚えていたがしばらく読む気にならず、父の作った小さな本箱に置かれたままになっていた。

読んだのは、父の死後5年ぐらいたった頃だろうか。
そこに書かれていたのは、僕の知っている父ではなかった。
後悔と愚痴、生きている時はけして言葉にしなかった弱音。
いつ来るかわからない発作への恐怖、苦しい思いをするなら死んでしまいたいという思いと、子供の成長を見るために生きていたいという矛盾。
自分の人生ほどつまらなく、くだらないものはないということ。
そして一番多く書かれていたのが、期待に応えてくれない息子、僕に対しての言葉だった。
勉強しないこと、辛いことから逃げてばかりいること。
それは自分に似ているからで諦めるしかない、でも出来れば自分のような人生を送ってほしくはない。
好きなことを見つけ、その道で成功してほしい。

ごめんなさい。息子は今も期待に応えられずにいます。でも僕はあなたの人生がくだらないとは思わない。

ICUで意識不明のあなたに「一言でいいから話をさせろ」と、医者に食って掛かかり、それが無理だとわかると土下座をして頼んだ人がいたこと。
いつも冗談ばかり言ってた人が、病室のあなたを見つめ黙って流し続けた涙。
葬式の時、40歳を越えたごつい大人の男が、人目を気にせず号泣していたこと。
火葬されるところを見たくないと、ひとりで飲み屋街へ消えていった人がいたこと。

くだらない人生に、こういうエピソードはないでしょう。
あなたはつまらないと思っていたかもしれない。
男として思い描いていた人生は送れなかったかもしれない。
でもいい父親だった、友に優しかった。それが人としてもっとも価値のあることではないですか?

父は息子に越えて行けと願う。けれど息子は抜いたと思うことは一生ない。

永遠に変わらない姿で、越えて行けと僕に背中を見せている

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