初めて見る背中

時が経てば、この日が来るのは当然のことだ。
ただ何とも不思議な感じがする。
まだ10代だった頃、背を抜いたのとは少し違った感覚。
鏡を見て、年を重ねた自分を見て、老けたとは思っても、あの人より年上になったとは思えない。
若く見える人だった。
それでもあの人にとっての晩年は、それなりの年齢に見えていた。
もう老いることはなく、最後の日で止まった姿を思い浮かべても年下になってしまったとは思えない。

父親は背中を見せて息子を育てるというが、そういう人ではなかった。
いつも正面を向き、目を見て話す人だった。
真面目な話も、好きな野球の話も、女性の口説き方のときも、いつも目を見て話す人だった。
生きているときの背中を思い出すことは出来ない。

他人を責めるより、自分の中に後悔を溜める人だった。
自分の苦しさより、周囲の迷惑を考える人だった。
年下であっても敬意を払い、呼び捨てにはしない。
年上であっても尊敬出来るところがなければ、笑って付き合うことはしない。
誰も見ていないところでも気遣いをするような人だった。
生きかたを語ることなどなかった。
これをやれという強制をする人ではなかった。
ただその真っ直ぐに向けられた目に見入られるように、あの人の望んだ生きかたをしているように思う。
そしてそれは決して嫌なものではない。

時が経てば当たり前のことだが、僕はあの人の年上になった。
抜いたのは背の高さと年齢だけだろう。
ただ今、生きているときに見えなかったあの人の背中を初めてみているように感じる。
目の前から消えて、伝える声を届ける方法がなくなったときに、あの人は初めて背中を見せたような気がする。
まだあの人に育てられている。
生きている間に伝えられたことを反芻しながら。

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